あなたのバービーは何を語る?⑩ライリー最終編
「辛いのではありませんか?あなたは、こちら
に目を向けられないでいる。無理もないで
す。僕が、あなたをお訪ねすれば、傷つけず
にはいられない。迷いました。決して軽々し
く判断した訳ではありません」
「お手紙を頂いてましたから。会うのを選んだ
のも、私です。心構えは出来ていたつもりで
したけど…やっぱり…。少し時間を下さい」
「もちろんです。僕は、いつまでも待ちます」
「何度も話を中断して、ごめんなさい。
サンディ…と、今のあなたは名乗ってる。
でも、私には…私には…。
いえ、大丈夫です。
あなたは、もうライリーではない。
それは、あなたにとっては真実でも、私が
受け入れるには、やはり時間が掛かります。
そう…とても辛い」
「でも…もしも、ライルが…昔の彼のままで、
私の元に戻っていたら…それも、やはり、
辛く 苦しく…ひどく戸惑ったでしょう。
それが私の罰なんです。
だから、私の事は、気にしないで下さいね。
聞きたいのでしょう?過去の自分の事を…
でも、なぜ、今?あれから、ずいぶん長い時
が経ってます。
責めているのではないのよ。ただ、あなたと
同様、私も知りたいだけなんです」
「戻った訳ではありません。
僕はもう、二度と、ライリーには戻らない。
今日だけ、お訪ねしたのです。
なぜ、今になって…というなら、ここを去っ
てから数年は、ライリーの事など知らなかっ
たし、サンディとして生きるのに懸命だった
からですよ。だが、その内…サンディとして
出会った、沢山の友達が、少しずつ、それと
意識しないながら、僕をここに導いた。
僕一人では、辿り着きはしませんでした」
「ライリーだった頃、あなたに友達はいなかっ
たわ。私以外、誰も」
「そのようですね。だから、あなたの処へ来た
のです」
「ライリーだった頃の記憶は?全く無いの?」
「完全に消えています」
「なら、見事にやり遂げたのね、レイシーは。
彼女は言ったわ。ライリーを助け出す、と。
どんな事でもする覚悟だったのだと思う」
「レイシーは、ライリーに…僕に…何をしたの
ですか?」
「あなたは…いえ、あの頃のライリーは死にか
けてた。
苦しみ、絶望していた。たった一本の命綱で
崖からぶら下がっているよう状態だったの。
二十年近くもそんな状態では、誰だって神経
がおかしくなるのに、そんな、安定とも言え
ない安定さえ、失う寸前だった。
肝心の、命綱が保たなくなっているのに気が
ついてしまったのよ。
全てを託した綱は、切れかかっていた」
「命綱とは?」
「レイシーよ」
「珍しいですね。普通は、ほら、母親とか…」
「その通りよ。
レイシーは、ライルの母のマグダラが、彼に
引き継いだ命綱だった。
マグダラとライルは、二人共、与えうる限り
の愛情をレイシーに注いだわ。その愛は本物
だった。それは否定しない。でも、正しい愛
ではなかったのだと思うわ。
レイシーへの愛に…なんとか生きる意味を
見い出していた。その為の愛だったから。
レイシーに全てを与えたがっていた。
そうすれば、自分達が満たされるから」
「迷惑な話ですね。レイシー…僕は憶えていま
せんが、彼女が気の毒です。
誰だって、そんな役目は負いたくない」
「昔ね、私、ライルに話した事があるの。
レイシーが、まともに育ったのが不思議だっ
て。でも、私は間違っていた。何もわかって
いなかったのよ。
レイシーが、一番、まともでなかった」
「彼女が、一番、苦しみ、追い詰められてた
と?」
「私は、それに気が付かなかった。
それで、あんな事態になった。
残念だわ…でも、例え、キチンとした理解が
出来ていても、私には、あの悲劇は止められ
なかったと思う。私は、無力だった。それが
慰めね。事件を防ぐ資格が、私にはなかった
というのが」
「それは嘘だ。あなたは、慰めなど見い出して
いない。今でも苦しんでいる。違いますか」
「そうね…ごまかしては、いけないわね。私の
心はまだ、あの日で止まったまま…」
「すみません…言い過ぎました。僕は、何も
知らないのに」
「レイシーを妬んでる。今でも羨んでるの。
変な話よ。彼女は、殺人未遂犯なのよ」
「レイシーは、ライリーに何をしたのです?」
「塔の窓から、彼を突き落とした」
「ライルはガラスを突き破った。
落ちていった」
「何階の窓です?誰の部屋でしたか?」
「私の部屋。4階。ライルはまっ逆さまに落ち
て、下の広場に激突した。噴水と池の側よ。
普通なら、死んでいたわ。
レイシーは、それを承知で突き落とした。
でも、憎しみからじゃない。
あなたを救うには、それしか無いのだと、
そう確信したから、落としたのよ。
そんな事、誰が出来る?レイシー以外の、誰
に出来るって言うの!」
「落ち着いて、アマンダ。大丈夫ですか。
呼吸できてますか」
「レイシーには迷いがなかった。正しい事を
するのだ…ライリーを助けるのだ…彼女は
少しも動転しなかった。私にはわからない。
本当に、そうだったのか…」
「結果を見れば、正しい事だったんでしょう。
僕は生き延び、今は幸せに暮らしているの
ですから。でも、レイシーがライリーを…
その、僕を殺そうとした時には、もっと別の
思いに支配されていたと思います」
「どんな?」
「恋…親の代から続く愛憎…何より…多分…」
「何?」
「若さですよ」
「若さ?」
「自分が正しいと信じる一途さ。自分が何とか
しなければ、という信念。自分なら出来ると
いう自信。これは、成熟した、または老成
した心には生まれないのですよ。
実際の年齢とは関係なく、レイシーには、
そうした若さがあり、あなたには無かった。
どうしようもない事です。
あなたの言う通りです。どんなに望んでも、
あなたには、レイシーと同じ事は出来ない」
「それより僕は、もっと具体的な事が知りたい
のですよ。なぜ、レイシーはあなたの部屋に
いて、なぜ、ライリーが現れたのか」
「私の部屋に、レイシーを匿った事は、話した
でしょう。部屋に案内した時、レイシーは、
驚いていたわ。権力者の一族を率いる身で、
大豪邸に住んでいるのに、この部屋は何なの
アマンダ?廃墟みたいよ、と」
「ボロボロのベッドに、壊れた子供用の椅子。
他には、何も無い。本当に、何も無いの。
レイシーは、ふざけて言ってたわ。
私が嫌いだから、わざと、使ってない部屋を
あてがったんでしょ…って。
違うのよ。本当に、私の部屋だもの。
お金持ちでも、お金持ちでないだけ。」
「どういう意味です?」
「私は、子供の頃から、埃と黴だらけの塔の
一室に住んでいたわ。痩せこけて、汚れて、
臭かった。
子供は喧しいからと、私の部屋は、塔の
てっぺん。夏は蒸し風呂、冬は冷凍庫。
いつもお腹が空いていて、泣いても誰も来な
かった」
「信じられませんね。ご両親は?家政婦や
子守り、家庭教師がいたでしょう?」
「いたのかもね。時々、やって来たと思う」
「まだ、よくわかりません」
「彼らは、誰一人、私に関心がなかった。
欠片の関心も無ければ、どれほどお金があっ
ても、役には立たないのよ」
「可哀想に…辛かったですね」
「生き延びたわ。もう、大丈夫よ」
「しかしね、ライリーの家も同じだったので
しょう?
レイシーの物を除いたら、他には何も無いの
ではありませんか?空っぽの廃墟だ」
「ライリーもマグダラも、大富豪だった。
美しい物、贅沢品が溢れていたわ。
でも、二人は、レイシー以外、何も必要とし
てなかったし、レイシーは、物に興味が無い
子だった」
「やはり、廃墟だ」
「我が家には、客用寝室は無いのか、レイシー
に聞かれたわ。
私には、わからないと答えた。
今でも、邸にどんな部屋があって、誰が住ん
でるのか知らない」
「ご家族は?」
「両親には、時々、会うわ。会社とか、知人宅
で。元気みたいよ。でも、屋敷に住んでいる
のかは知らないわ。引退したから、リゾート
地にでも住んでいるのじゃない?」
「自分の家に、誰が住んでいるかわからない…
何か変な感じがしますけどね。ムズムズする
ような…落ち着きませんよ」
「あなたの…サンディの家は?今のあなたは、
どんな暮らしを?」
「1間のアパート暮らしです。住んでいるのは
僕一人ですけどねえ…いや…そうなのかな…?
友達や、友達の知り合いや、顔見知りやら、
顔に見覚えのない他人やら…果ては大家さん
や、彼女の身内まで…実に沢山の人が出入り
してましてね。鍵を掛ける暇もなくて…
ついには、鍵がどこかにいっちゃいまして。
だから、僕も、人の暮らしを、変わってる
云々、言える立場じゃありません」
「楽しそうね」
「賑やかです。イメージとしては、市場か…
年中無休のパーティー会場ですかね」
「私達と一緒にいた時は、楽しかった事なんか
なかったクセに」
「私達?」
「私もレイシーも、あなたを幸せにしたくて、
あなたと一緒に幸せになりたくて、ただ、
それだけが望みだったのよ。
なのに、あんまりだわ、酷いわ、ライル!
私達と一緒の時は不幸で、離れたら幸せだ
なんて」
「僕が不幸だったのは、あなた方のせいでは
ないし、今、幸せなのも、あなた方のおかげ
ではありません」
「そうね…そうね…その通りなのよね、本当は。
なのに…人はどうして、こうも愚かに間違え
てしまうのかしら…」
「そう…なぜでしょうね」
「レイシーが家出して…ライリーは、どうなり
ました?」
「会社にも出てこないし、電話にも出ない。
訪ねても、誰もいない。どの屋敷にいるのか
さえ、わからなかったわ」
「レイシーの捜索は?」
「魂を失ったのよ。ライリーは、しばらくの間
は、動くことすら出来なかったのだと思う」
「レイシーの意志を尊重しようとしたのかも
しれません」
「努力はしたと思うわ。自制したのでしょう。
少しの間は、それが出来た。
すぐには、禁断症状は出ないものよ。
ああ…本当にレイシーはいなくなってしまっ
たんだ…と実感するまでは、苦しみにも麻酔
が掛かってる。真に辛くなるのは、それから
よ」
「結局、ライリーは耐えられなかった?」
「そうね」
「情けない奴だ」
「あなたは、自分に厳しいのね。人間だもの。
仕方ないじゃない」
「ライリーは、あなたの家にやってきた?」
「二週間ほど後だったの。訳のわからない事を
言ってたわ。宝石を窓から投げ捨ててたら、
私の部屋に灯りが見えて、あっ…レイシーは
あそこにいるって、そうピンときた…とか
何とか…意味わかる?
レイス…レイス…会いたい…会わずにいられな
い…うわ言みたいに繰り返して、助けて…
レイス…僕を助けて…って。止めたけれど、私
なんか目に入らないみたいだった。
手を伸ばして、私をどかして…邪魔な家具を
どかすみたいに…憑かれた様な目をして…
塔を登っていった」
「レイシーは、驚きました?怯えた?」
「全然。わかっていたみたい。ライリーが来る
のを、彼女は待ってた」
「二人の間に、何が起こったのです?」
「レイシーは言ったわ。これが最後よって。
私を抱きしめて…ライリー、そこから
初めましょう…私と現実を生きようって…」
「それでも、ライリーは、彼女を拒んだ?」
「生身の彼女を愛せるなら、とっくにそうして
いたわ。
レイシーは、私とは違う。
美しいだけじゃなくて、何と言うか…地に
根付いた官能美、泥臭いまでの女らしさ
があった。身体も、ふっくらと柔らかで」
「ライリーは、彼女を抱くのを拒んだ。彼女
無しでは、生きられないのに?」
「だからこそ、だと思うわ」
「レイシーは、ライリーを、愛していたんです
ね。普通の恋がしたかっただけなのに、叶わ
なかった。
フラれて、冷たく突き放されるなら、まだ
理解できるし、受け入れる事も出来る。
でも、ライリーは、レイシーを溺愛し、可愛
がり、甘やかし…いつも側にいて、優しく話
を聞き、そして触れ合う。常に、ライリーの
温もりを体に感じる…現実的にね。
それなのに、恋愛対象として見てくれない?
あまりに辛い事です。苦しかっただろうし…
やがて、憎しみも生まれたでしょうね」
「レイシーは、ただ普通の人間として扱って
欲しかったのだと思うわ」
「十年以上も、ずっと求めていたのに…」
「叶わなかった」
「だから、レイシーはライリーを突き落とした
それから、どうなりました?」
「私は、階段を駆け下りて、ライリーの元へ
走ったわ。実際には、酷い損傷があった訳だ
けれど、その時は、わからなかった。見た目
には、何の外傷も無い様に見えたから。
意識ははっきりしなかったけれど、息は安定
していたし…4階から落ちたとは思えなかっ
たわ」
「レイシーは、どうしてました?」
「しばらく経ってから、下りてきたわ。
寝間着から着替えて落ち着いていた。
旅支度だった」
「アマンダ?」
「…。」
「普通、そんな事件が起これば、悲鳴を上げて
助けを呼ぶし、すぐに警察や救急車を呼ぶの
ではありませんか?」
「うちの屋敷では、何が起きても不思議では
ないのよ。誰も、駆けつけはしないわ。
野次馬にすら、ならないでしょうよ」
「倒れているライリーを見下ろして、あなたと
レイシーは二人きり。何があったのです?」
「話したくないわ」
「それはそうでしょう。でも、話して下さい。
気が楽になるかもしれませんよ」
「そうね…ああ、ライル…私達、なぜ、こんな
事になってしまったのかしら?なぜ?
あの時…あの日の、あの後…私は…私は」
その日…。
「逃げなさい、レイシー」
「警察に行くわ、私。見たでしょ、アマンダ。
私は、ライリーを殺した」
「彼は大丈夫。生きているわ」
「それでも、私は罰を受けるべき…」
「バカ言わないで。わかってるクセに。例え
死んでも…まあ、死にかけても、ライリーは
あなたのせいだなんて言わないわ。決して。
自分で窓から落ちた、と言い張る。
万に一つも、あなたは刑務所には入らない。
入ったとしても…想像がつくでしょ?
ライリーは、全財産を投げうってでも、自分
の権力の底までも浚って、牢屋をホテル・
リッツに変えるでしょうよ。
インテリアコーディネーターに造園家に、
室内プール、豪華なコース料理…」
「私は、どうなるの、アマンダ?」
「卑怯者なら、この場に留まるでしょうね。
罪など、どこにもない。
万事、今までと変わらない毎日が送れるわ。
ライリーの宝物」
「…。」
「レイシー?」
「嫌よ、嫌。それだけは…絶対に嫌」
「だから、この場から去りなさい、レイシー。
今を逃せば、もう終わりよ。
ここでライリーと離れれば、まだチャンスが
ある。あなた達ふたり共、変われるかもしれ
ない」
「ふふふ」
「何よ」
「そうなのね、そういう事なのね、アマンダ」
「何が」
「あなたが、ライリーを愛しているのは知って
いたわ。ずっとずっと昔から、幼い頃から
ずっとよね。
可哀想に、孤独なアマンダ…ライリーだけが
あなたの中の、暖かく、形ある人間だったの
よね。
あなたの様な存在は、とても貴重なのに…
それがライリーにはわからなかった。
ライリーは、私以外、何も目に入らないの
だから」
「そうね、レイシー」
「あなた、どれほど私を憎んでいたのよ、ねえ
アマンダ?
私がいなくなる様に仕組めば、ライリーは
あなただけの人になる。
そうでしょ?」
「ええ、その通りよ、レイシー」
「いいのよ、アマンダ。私は、それもわかって
いて、この道を選んだのだから」
「もう二度と会う事は無いわ、私達。
さようなら、レイシー」
「さようなら、アマンダ。
さ…さようなら…さようなら…ライリー。
寂しい…とても寂しいわ…」
「レイシーは去って行ったわ。
後は、説明の必要はないでしょう?
あなたは…ライルは…一命を取り留めたけれど
全ての記憶を失い、ある日、病院から脱走し
てしまったの」
「そして、僕はサンディになった」
「完全な記憶喪失は、とても珍しいそうね。
もしかしたら、過去から逃れたいのかも
知れない…と、お医者さんには言われたわ」
「サンディ…黙ってしまったのね。
どんな気持ち?」
「あなたに対して、気が咎めているのです」
「そう…あなた、今の暮らしは、幸せ?」
「とてもね。貧乏ですし、健康でもなく、そう
長生きも出来ません。
でも、大好きな仕事、大切な友達…
それだけで…ええ…とても幸せです」
「だったら、それでいいのよ」
「あなただけを、置き去りにして、逃げ出した
ようで…。たくさん、人を傷つけた。
レイシーのことも」
「だとしても、それが人生じゃなくて?
生まれた場所に留まる人もいれば、離れて
いく人もいるわ。
出会いもあれば、別れもあるし、その過程で
誰かを傷つける事もある。故意にそうしたの
でない限り、罪は無いわ。ただ、そうなって
しまっただけで」
「あなたは、幸せですか、アマンダ?」
「いいえ、大して。でも、それは私の問題よ。
あなたに…つまり、サンディにも、ライリー
にも、責任は無いわ」
「ありがとう、アマンダ。
あなたに会いに来て良かった」
「こちらこそ、ありがとう。
ライリーが生きていて、幸せだとわかって、
どんなに嬉しかったか…」
「レイシーは、どうでしょう。今、どこにいる
のか、ご存知ですか?」
「いいえ。でも、あの子は心配いらないわ。
多分、きちんと自分の人生を歩んでいる」
「きっと、そうですね」
「では、本当のお別れを…。
さようなら、アマンダ」
「さようなら、ライリー。永遠に。
そして、サンディ…あなたは、レイシーに命
を与えられた。体を大切に…精一杯、幸せに
生きてね…お願い」
「約束します」
終わり
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasami。
おすすめは「いつもの帰り道」かな…?
#バービー#バービー・ショートストーリー
#小説#物語#バービー・コレクター#ドール
あなたのバービーは何を語る?⑩ライリー編その3
「レイス…」
「いつも、私を見つけてくれるのね」
「雨が落ちてきそうだから。僕らの庭園の中に
は、雨が美しく見える場所が、いくつかある
幼い頃から、君はここが好きだった」
「ライリー…もう十分に待ったわ、私。返事を
聞かせて」
「あの話か…わかってる、わかっているんだ、
レイス。君が、どれほど真剣か…軽々しくは
扱えない問題だという事も。僕は…考えてみ
た…自分と向き合おうとしてみた。難しいね
とても難しい。今まで、したことがなかった
今も出来ているのか自信がない」
「辛かった?」
「とてもね…ああ、すごく苦しいよ、今、この
瞬間も」
「わかるわ…でも、いつかは向き合わなくては
ならないのよ、ライリー」
「僕の人生に、ここまで踏み込む事は、誰に
も許さない。唯一、君だけなんだよ、それが
出来るのは。僕に、そこまで親しく触れられ
るのは、君だけだ。この世で、ただ一人、
それが出来る人…」
「アマンダもいるわ。あなたの力になろうと
している。彼女は、本物の友達よ」
「確かに、彼女は、理解してくれる。僕の事を
僕以上に。それでも、僕は…僕の中に踏み
込む事を許さない」
「ライリー…私を愛してる?」
「ああ…レイス…愛してるよ。いつも変わりなく
心の底から…10歳の、まだ幼い少年の日に、
君を見て、その瞬間から…愛し始めたその日
から、ずっと今も限りなく愛している。
それでも…僕は行かないんだ、レイス」
「なぜなの…私にはわからない…あなたは、ここ
で幸せじゃない。私も幸せじゃない。一緒に
逃げて、そうしたら…そうしたら…」
「ダメだ、レイス。僕にはわかっている。
ここから逃げたら…この人生を変えれば…
僕らの結びつきも消える。僕らは別れ、他人
同士になるだろう。必要としないからだ。
僕の人生はね、レイス、すでに終わっている
のだよ。
悲しいが、わかって欲しい。受け入れて
欲しいのだ。君のせいではないし、誰のせい
でもない。ただ、もう終わりなのだ」
「嫌よ…諦めるには早すぎるわ。あなたは、
まだ、26の若さなのよ」
「年齢は関係ない。人生は、与えられたものさ
レイス。自分で変えられる部分は、本当に
僅かだ。
君が僕を置いていなくなれば、僕はここでの
人生に、その非道さに耐えられなくなる。
でも、君を留めて、このままの人生を続けれ
ば、僕も君も、異常な結びつきに耐えられな
くなるだろう。いずれ、必ず」
「私は、もう限界なのよ、ライリー」
「君を苦しめるのは、耐えられない。
なんとかしなくては、いけないんだ。
だが、君と二人で、一緒にここから逃げ出
したら、僕は…僕は…」
「はっきり言ってちょうだい」
「人生の苦しみからは逃れられるだろうが、
代わりに、君を愛さなくなるだろう。
君が必要でなくなるからだ。僕は、そこまで
ひどく君を利用した…。
でも、知らなかったんだ。信じて、レイス。
自分が、君に、酷い仕打ちをしている事に、
気付かなかった。
これまで、僕の全てだった君が、どうでも
よい他人になる。それも恐ろしい…」
「だから、君と一緒には、逃げられない。
僕は、ひどい事を言っているね、レイス。
大富豪?青年社長?僕は塵芥と一緒だ。どう
にもならないんだ、もう」
「あなたの人生を、それほど苦しいものにして
いるその訳を、私に話して、ライリー」
「無理だ」
「話せないのね…」
「君には話せない。知らないでいて欲しいんだ
君には、僕の現実を知られたくない」
「あなたは、そうかもしれない。私は違うわ!
どこでも、どんな場所の、どんな生活でも
あなたを愛せる。大好き、大好きなのよ、
ライリー…どんなあなたでも…私の気持ちを、
なぜ、信じてくれないの?」
「それは誤解だ、レイス。君は、どんな僕でも
受け入れてくれるだろう。君を信じてるよ。
僕が、耐えられないのだ。
君の前でだけは、普通の人でいたい。普通の
優しい人でいられる…それは癒しだ。
思えば僕は、ただひたすら、普通の人でいた
かったんだ。ずっと、そう願っていた。叶わ
ない夢なのだけれど、君の前だけでは、夢の
世界にいられたんだね…」
「私の苦痛がわかる、ライリー。私の苦しみが
わかる?」
「わかっていないと思う。レイス…すまない」
「ここでの生活の苦しみ…あなたのそれとは
違うけれど、教えてあげるわ、ライリー。
羽毛にくるまれた様に大事にされて、宝物の
様に大切に扱われて…何でも、好きな物を
好きなだけ、際限なく与えられて、誰もが
夢見る生活…でも、誰だって、きっと耐えら
れないだろうと思うわ。それは辛すぎる生活
でもあるのよ」
「考えてもみて、ライリー。
すごくハンサムで、素晴らしく優しくて、
本当に素敵な…若い…自分とそうは違わない
若さの男性が…いつも傍にいて、限りなく
慈しんでくれて、それで…それで…優しく
触れてくれて…でも、それは、宝石に触れて
いるのと同じなの。でなきゃ、コレクターズ
アイテム?
私は、生身の人間なのよ。夢の世界の人形
ではないの。現実の女性として愛して欲しい
のに…そういう思いで触れて欲しいのに、
叶わない。この辛さがわかる?」
「僕には、生身の人間は必要ない」
「自分が、愛している男性が、心底、不幸なの
も…辛いわ」
「僕は、君をも不幸にしていた。絶対に幸せに
すると…毎日、ただひたすら、君を想ってい
たのに。
そんな資格がなかったんだね。自分ですら、
幸せに出来ないのだから」
「ライリー…私を抱いて…抱いてよ。体で、愛を
結びたいの、私は」
「無理だ。僕には出来ない」
「体で紡ぐ愛は、恥ずかしい事ではないのよ、
ライリー。汚い事でもないわ。
現実の愛。体温を感じ、生きている事を感じ
られる愛なのよ。勇気を出して…ライリー。
私と、体で愛を奏でれば、きっと人生を取り
戻せるわ」
「やめてくれ、レイス。僕はもう、希望を持つ
事に疲れた…生きるのに疲れた。
君には酷い仕打ちをしたけれど、君といる時
だけ、僕は幸せだった。どうか、これだけは
信じて欲しい…僕は自分に出来る、精一杯の
事をしたんだ…
大した事は出来なかったけれど、それでも、
精一杯に頑張ったんだよ」
「知ってるわ…。
それで?これは何なの?」
「プレゼントだけど…いや、わかってるよ、
レイス。嫌なんだよね。貰いたくない。
それが、わからないほど、馬鹿ではない
つもりだ」
「だったら、なぜ?」
「わからない…いわば、習慣なんだ。買って
帰らないと、落ち着かなくて…」
「あなたなんか、大嫌い!」
「レイス…」
「大嫌い、大嫌い!一人にして!」
「レイス!」
「…」
「…」
「ごめんなさい…取り乱して。
しばらく、一人で過ごすわ。
考えたいの。私、とても傷ついた。それに
疲れた…。お願いよ、ライリー。お願い!
絶対について来ないで!」
「レイシー…どうしたの?あなた、大丈夫?」
「アマンダ…来てくれて、ありがとう。
どうしても、聞きたい事があって。
それは…」
「言わなくても、わかっているわ。いつか、
あなたが、聞きに来ると知っていたし、
あなたになら、話したいとも思っていた。
本当に、いいの?恐ろしい話なのよ」
「知らないではいられないわ。ライリー…私が
16年も共に暮らしてきた人…愛してきた人…
ねえ、彼は…彼は…一体、何者なの?」
「中規模の製薬会社の社長よ。代々、血族経営
の」
「表向きを聞いているのじゃないわ!私、
怒っているのよ、アマンダ。もう、嘘は沢山
よ!あなたも、ライリーも、マグダラも、嘘
ばっかり、最低よ!私は…」
「ライリーの一族はね…究極のマッチポンプで
世界を操っているの。致死性のウイルスや
細菌を作り上げ、選び抜いた場所に広めて、
時期をみて、ワクチンや薬を投下する」
「バカな事、言わないで。本当に、そんな事を
していたら、世界でも有数の、巨大製薬会社
になってるはずでしょ」
「あなた、変わった考え方する子ね。
儲けるのが目的ではないわ。操るのが目的な
のよ。目立たない存在を装わないとね。
世界を動かすには、巨大なマネーだけでは
不十分なの。恐怖、パニック、階級格差
ヘクトクライム、戦争…様々な姿に偽装した
グループが、世界を動かしている。
ライリーは、病気と、その恐怖で操る。
奇跡の薬や、ワクチン、空虚な希望や、生へ
の執着でも、大衆は操れる。
まあね、担当業務ってワケ」
「なぜ…そんな事をするの?」
「ずっと昔の昔から、ライリーの一族の担当と
決まっているからよ。はっきりは知らない
けれど、もしかしたら、人々が、まだ洞窟に
に暮らしていた時代に遡るかもね。
何が目的なのかなんて、わからなくなってる
の。あえて言うなら、操るのが、人間の性…
負った本能だからかしら。誰かがしないでは
いられないのよ」
「あなた達は、支配者なの?」
「違う。
私の一族も、ライルの一族も、操るだけで
はなくて、誰かに操られている駒でもあるの
よ、多分…。
けれど、指し手が巨大すぎて見えないし、
知ろうとするのは危険だわ。
だから、いわばムードで動いてる」
「ムードですって?」
「血族の感覚…受け継いできた伝統ね」
「あなたの一族の役割は?」
「ライルの一族とは、切っても切れない仲。
お役人と政治家の一族よ」
「ライリーは、苦しんでいるわ」
「稀に…本当に稀に…彼の様な人がいる。
完璧に操られ、縛り付けられ、洗脳されて
いるはずなのに、それを弾いてしまう人。
自分に疑問を持ったり、苦しんだり…
一族の中の腐ったリンゴよ」
「腐ったリンゴは、どう取り除くの?」
「手を出す必要は無いわ。自滅するのを待てば
いい」
「あなたも、腐ったリンゴよ、アマンダ」
「私は違う!なぜ、そんな事を言うの!」
「ライリーの為に泣いてるからよ。彼を想って
涙を流している。彼を愛しているから…だわ
あなたも、腐ったリンゴなのよ」
「…」
「…」
「ライルを助けたい…でも、どうしていいのか
わからない…わからないのよ、レイシー」
「私は家出するわ」
「レイシー…それは、無理だわ。ライルは、
あなたに中毒してるのよ。
頭では、そうすべきでないと理解していても
それでも、あなたを追い求めるわ。
世界中の警官や探偵を使ってでも、あなたを
探し出そうとする。
これは、比喩ではないのよ。
彼には、それだけの財力と権力があるの」
「大丈夫よ」
「ライルに死ねと言うの?あなたを失えば、彼
は生きていけないのよ」
「大丈夫よ」
「どういう事?何を考えているの?」
「しばらく、あなたの家に匿って、アマンダ。
まさか、そこにいるとは思わないでしょう」
「質問に答えてくれる?」
「私も、ライリーを愛してる。でも、私は、
あなたとは違う。
ライリーを解放してみせるわ」
ライリー編その4に続きます。
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasamiです。
よろしくお願いします。
あなたのバービーは何を語る?⑩ライリー編その2
「今晩は、ライリー」
「最高の美女が登場。約束通り、来てくれたん
だね、アマンダ。遠い所をすまない」
「隣家だけど。お金持ちは皆、因果な家を持つ
のねえ。敷地が広すぎるのよ。
久しぶりだから、道に迷ったわ」
「人の事を、とやかく言えるのかね。君の一族
の屋敷は、もっと広い。ヴェルサイユ宮殿も
同然だ」
「一つ屋根の下、と言ってもまた、広大過ぎる
屋根だけど、一緒に住んでいる親戚の中には
どこの誰で、いつ現れたかわからない人間が
沢山いるの。顔を合わせた事が、一度も無い
とか、珍しくないわ」
「他人が住んでるかもしれないぞ。昔から、君
の家には行きたくなかった。得体が知れない
人間がウヨウヨいるし、誰が使用人なのか
も、そのランクもはっきりしない。
トイレが四十もあるのに、いつも探しあぐね
て粗相しそうになるし、なんとか辿り着いて
も、掃除してなくて不潔そのものだ。使用人
が百の単位でいるはずだろう?バレなきゃ
いいとばかり、どこも掃除されてやしない。
子供エリアに運ばれてくる食事は、冷めてる
か乾燥しきってる。2日前のパーティーの
残り物が、平然と、銀の盆で登場したりな。
何でも揃っているはずなのに…ジュースを
こぼした時の手拭きタオルだとか、宿題を
する為の鉛筆だとか、指のささくれが痛む時
の絆創膏だとか、何でも無い物が、無い!
つまり…手近に無い。頼む人もいない。
いつも我慢だ。君たち一族は、常識がない」
「あなたの一族だって、似たようなものだった
わ。マグダラが変えるまでは。彼女は全てを
変えた。ある時を境に」
「そうだな。いや、長い夜になりそうだ。
幼馴染みとの話は尽きないね。まずは座って
落ちつこう。僕は酒を飲まないが、君には
ダルモアを用意してある。アンゴスチュラ
ビターズを2滴垂らしてね。好みが、変わっ
てないといいが。クリスマス・ローズの部屋
でいい?」
「マグダラの部屋だったわね」
「ああ。でも、母は、あの部屋を好きでなかっ
た。亡くなるまで、2、3回しか訪れていな
いはずだ」
「マグダラの居場所は、いつだって一つだけ。
レイシーがいる場所。ところで、彼女は?」
「室内プールで泳いでから、眠ると言ってた。
あの子には、長い1日だったからね」
「良かったわ。滅多に無い事だし、今夜は、
二人きりでいたいの。邪魔されたくない」
「レイスは、気遣いのある子だ。そんな…」
「もちろん、レイシーは良い子よ。問題は、
あなた」
「僕?だとしても、君に何の関係がある?
何も知らないくせに、君は…」
「部屋に入っていいかしら?それとも、お帰り
はあちら…と、追い出されるの?」
「…」
「ライル?」
「ああ…もちろん、入ってくれ。どうか…座って
ごめんよ、アマンダ。僕は、どうも短気で
いけない。どうして、君が我慢できるのか、
僕と友達でいてくれるのか、わからないよ」
「あなたは、いつも短気なわけではないからよ
レイシーの話をしてる時だけだわ。レイシー
の事となると、人が変わってしまう。
だから、聞きたいのよ、話したいの。
いくらでも癇癪を起こせばいいし、礼儀知ら
ずな物言いをすればいい。私は、幼馴染みと
いうだけではないわ。あなたを怖がらない、
強い人間なの。心配しなくていいし、謝らな
くてもいい。貴重な存在でしょう?」
「本当に…そうだな。で?何を聞きたい?」
「レイシー…レイシーの事。ねえ、ライル。
レイシーって、何者なの?」
「今更、それを聞くのか?」
「わからない事を聞くのは、何時だろうと恥ず
かしい事ではないわ」
「なぜ、今までに聞かなかったのだ?」
「考えていたから。レイシーは、あなたにとっ
て、どんな存在なのか。マグダラにとって、
どんな存在なのか。大体、見当はつけたわ。
後は、あなたから、答えを聞きたい」
「どう答えればいいのか、わからないよ」
「じゃあ、こちらから質問してあげるわ。
まず、マグダラの事から」
「母の話?そこまで、遡る必要があるのか?」
「マグダラ。あの人こそ、全ての始まりよ」
「マグダラは、なぜ、あんなにもレイシーを…
なんて表現すればいいのかしら。溺愛なんて
いう言葉じゃ、甘すぎる。実の子でもないの
に、レイシー、レイシー、レイシーって、
そればっかり。血が繋がっている子供は、
あなたなのに。実子を差し置いて、レイシー
ばかりチヤホヤして、変でしょうが。
毎日がレイシーの為に始まって、レイシーに
仕える事で過ぎて、レイシーを見守って終わ
る。レイシーが、マトモで良い子に育ったの
が不思議なくらいよ。何でも出来る財力に
加えて、彼女が歩いた地面を拝まんばかりの
愛情…というか、あんなに小さい子供には
不似合いな…敬愛?愛情の爆発…うーん、
愛情の爆風?閃光?なんか、破滅的なの。
レイシーは、甘やかされて、暴君になっても
おかしくなかったわ。私は独身だし、子供も
いないけれど、それでも、良くない子育てだ
とわかる。ここに来た時、レイシーは幾つ?
五歳?」
「四歳だ」
「レイシーが来て、全てが変わったわ。
それまでは、私、マグダラのお気に入りだっ
た。いつも、家に呼んでくれて、とても親切
だった。あなたの世話は、子守りと家庭教師
と、子育てアドバイザーに任せきりなのに、
私が遊びに行くと、マグダラご自身がご降臨
下さる」
「今、思うと、あなたと私が、仲良くなれる様
に、マグダラは心を砕いていたのね。将来、
一族のビジネスを継ぐのは私だと見抜いて、
だから、あなたとの絆を作るのが必要だった
のよ。幼馴染みの状態を作り出そうとしてた
ビジネスの為に、子供まで利用する。
マグダラは…見かけは、優しくて穏やかな人
に見えたわ。カールした栗色の髪。薔薇色の
頬に、暖かみのあるグリーンの瞳。
でも、それは見せかけだけ。
本当は、冷酷な人よ。最低!」
「小さい頃から、僕は、君が好きだったよ。
君が家に来る時は、母もいる。優しく世話し
てくれ、話を聞いてくれる。オヤツを出して
くれるし、手を握って…微笑みかけてくれる
そりゃ、なんか変だと感じてはいたさ。でも
例え不自然でも、それでも、僕は嬉しくて、
そこに意味があったんだ」
「レイシーが来て、マグダラは豹変したわ。
しばらくは、混乱して辛かった。自分が、
何かまずい事をして、マグダラに嫌われたと
思ったから」
「ずっと付き合いは続いていたじゃないか。
誕生日パーティーやお茶会には、必ず君を
招待していたよ」
「数百人の客の一人としてね。
家族の輪には入れてくれなくなった。内輪の
集まりには、二度と呼んでもらえなかった。
マグダラの頭は、レイシーで一杯で、私の事
完全に忘れてしまったのよ。
あなたを、また、身近に感じられるように
なったのは…親しく付き合えるようになった
のは、マグダラが死んでからよ。でなければ
私は、永遠に、あなたを遠くから見つめてい
るだけだったでしょうよ。
20歳で母親を亡くしたあなたに、こんな事を
言ってはいけないのかもしれないけど、私、
マグダラが大嫌い!」
「僕の中の、母のイメージはずっと…ドレスや
スーツで決めた後ろ姿だった。
いつも、背を向けている。顔は曖昧な記憶し
かなくて、どんな声かも知らなかった。
仕事、仕事で、僕の傍には決していなかった
でも、寂しかったかなあ?辛かった記憶は、
あまり無い。母を尊敬していたし、そういう
ものだと、思っていたからね」
「馬鹿馬鹿しい、嘘つき」
「は?」
「寂しかったに決まってるでしょ。誤魔化すの
は止めて、ライル。正直に話しても、傷つく
人は、ここにはいないのよ。心配しないで、
大丈夫よ。本心を話して」
「嘘はついていない。レイシーが来るまで、
僕は、自分がどれだけ孤独なのか、気がつい
ていなかったんだ」
「レイシーが来て…マグダラのイメージは変化
した?」
「ああ、変わったよ。すごくね。
平日は相変わらず仕事だったけど、5時には
帰ってくる。休日は、1日中、僕らの傍にい
て、ピクニックしたり海で泳いだり。
食事も一緒にしてくれるし、話も聞いてくれ
るし、子守り歌も歌ってくれる。病気になれ
ば、看病もしてくれるんだ!
レイスが来た時、僕は10歳だったからね。
子供っぽいと言われるかもしれないが、
嬉しかったな。幸せだった。
父も、よく姿を見せるようになったし、母と
親しく顔を合わせてもいた。
レイスのお陰で…本当の家族になれたんだ」
「マグダラの、イメージを聞いたんだけど」
「イメージ…そうだなあ。
レイスを見つめてる。痛いくらいの愛情でね
僕は、少し離れた所から見守っている。
母は、視線を感じて微笑み、僕を手招きする
僕は、また少しだけ近づく。そして、また、
二人を見守るんだ」
「普通…嫉妬するんじゃないかしら?片方の子
だけが、可愛がられていたら。しかも、実子
はあなたなのに、レイシーが愛情を独占し
ている。普通は…そう、普通の子なら、憎む
と思う。激しい憎悪に駆られる筈よ。
ライル、あなたはレイシーを憎まないの?」
「とんでもない!そんな事、考えた事もない。
どうして、僕がレイスを!?下らん。
憶測で、エセ心理学者みたいなマネをするの
は、やめた方がいいぞ。
レイスが来て…母は変わった。もう、後ろ姿
ではなくなった。触れれば、暖かくそこに
存在する。僕にも、優しくしてくれたんだ。
兄妹差別など受けてない。僕とレイスは、
そもそも、兄妹ではないのだし」
「そうかしら?私、地元のデパートの子供服
売場で、マグダラとレイシーを見た事がある
のよ。レイシーが…七歳くらいの時。
店の在庫全てを買い占めてたわ。有名な話よ
文房具でも靴でも絵本でも、レイシーの物と
なると、マグダラは、店全体、丸ごと買って
しまう。一方、あなたはどう?子守りが選ん
で、常識的に買った物ばかり。マグダラと
買い物に行った事ある?」
「僕は男だよ、アマンダ。一緒に買い物なんて
楽しめないさ。だから、母も…」
「映画は?観劇は?遊園地やら水族館は?」
「残念でした。ちゃんと一緒に行ったよ」
「レイシーが、あなたと一緒にいたがったから
でしょ。レイシーの希望は絶対なのよね、
あなたも、マグダラも。誤魔化さないで。
ちゃんと答えて、ライル」
「何を答えろと?」
「兄妹差別は、あったのよ。でも、なぜ?
マグダラにとって、あなたとレイシーは、
どう違うの?」
「…。」
「ライル?」
「今の今まで、考えてみた事もなかった。
でも、なんとなく、わかる。
僕は、後継者となる可能性が高い子供だ。
昔から連綿と、ただ続いていく、一族の…
恐るべき仕事を、引き継ぐ運命が待つ。
甘やかして、溺愛して…そんな育て方は…
例え、どんなにそうしたくても、母は出来な
かっただろう」
「レイシーは?」
「レイシーは一族ではない。血の繋がりがない
負わねばならぬ責もない。
可愛がりたいだけ、可愛がれる。甘やかした
いだけ、甘やかせられる」
「ライル…あの子、何者なの?レイシーって、
誰なの?今は成長して、あんなに美しく
なって…でも、私は、あの子が怖い。今も
ここに…あなたと私の間にいる気がして。
マグダラとあなたの間にもいた。
レイシーって、何者なの?」
「怯えた様に話す事じゃない。シンプルな事情
なんだ。驚く事じゃないよ。
レイスは、短期里親プロジェクトで、うちに
来たんだ。それだけだ、それだけの事」
「ずいぶんと強調するのね。そのプロジェクト
の事、話してちょうだい」
「当時、よく行われていた企画なんだ。
家庭の事情で、短期間、施設に暮らしている
子供を、里親として預かり、数ヶ月ほど、
一緒に暮らす。家庭生活を忘れない為…だそ
うだ。やがて時期がくれば、子供は親元に
戻っていく。当時、裕福な家庭ではね、
ボランティアとして、このプロジェクトに
参加するのが、ほとんど義務化してたんだ」
「レイシーは、親元に帰らなかったの?」
「母は…母は…レイスを見たその瞬間から、
あの子を…愛した。心から、深く愛したんだ
狂おうしい気持ち…それはなにも、男女の間
の愛だけとは限らない。
母にとってレイシーは、自分の全てを変え、
人生を支えてくれる愛、幸せを運んでくれる
愛だったんだろう。自分という存在を救って
くれる愛の形が、レイシーの形をとっていた
のだ。僕には、よく、わかるよ」
「なぜ、レイシーなの?理由は?」
「アマンダ。君は、人を愛する時、人を求める
時、必ず理由があると思うのかい?無い時も
あるのさ。
母も、うまく説明できなかったから、施設の
人達との話し合いはしなかった。直接、
レイシーの、実の母親を訪ね、その同意を得
て、正式に我が家の養子にした。このあたり
の事情は、もちろん、レイシーも知ってい
るよ。四歳になっていたからね。自分が養子
だという事はわかっていたし、大きくなって
から、母はきちんと説明したから」
「あなたのお父さんは?賛成したの?」
「さあ…知らんね。反対ではなかったんだろう
一族の業務の中心は母で、会社の社長である
のと同時に、絶対の権力者だ。父は、能力
ゆえに選ばれた補佐に過ぎない。家庭にも、
それが持ち込まれていた。父は、母に反対で
きない」
「レイシーの、実の母親って、どんな人?
どうして、居場所がわかったの?」
「母が、お抱えの探偵に調べさせ、探り出した
レイスの、実のお母さんは、シングルマザー
でね。レイスを一人、部屋に置いて、1日中
働いていた。気の毒に、過労で倒れて入院し
てしまったんだ。そこで、健康が回復するま
で、レイスは施設に入った。親族は疎遠だっ
たらしいから、行き場がなかったんだよ。
母は、すぐに、レイスのお母さんを最高級の
療養所に入れ、退院後に移れる豪邸をも用意
した。加えて、先までずっと不自由なく暮ら
せる資産も、贈与してあげた。なんといって
も、レイスを産んでくれた人なんだからね。
敬意を表して、それくらいは…ね。
レイスのお母さんは、賢い人で、すぐに同意
が得られたんだ。レイスを養子にもらえて、
彼女は、正式に母の子供になった」
「お金で、子供を買ったって事?」
「な、何て事を…どうして、君は、そんな汚わ
らしい発想しかできないのだ?
実の親と里親が、話し合い、子供にとって
一番、良い道を選んだだけじゃないか。
レイスのお母さんは、子供の為にと涙を飲ん
で、母にレイスを託した。さもなければ、誰
が、あんなに愛しい、素晴らしい子供を手放
すものか。レイスのお母さんは、清らかで
優しく、天使の様な女性だったそうだ」
「マグダラが、そう言ったの?お涙頂戴もいい
所だわ。その後、実の親は、レイシーに面会
しに来た?」
「それは、しない約束だった。レイスを、混乱
させたくないからね」
「優しい女性が、なぜ、そんな真似が出来るの
よ?」
「よく知りもしない人の悪口は、やめたまえ。
レイスのお母さんは…ただ…若くて不運だった
それだけだ」
「変な話よね。継子虐めの話なら、昔話には、
よくあるわ。それが、溺愛話とはね。滅多に
ない。ダメよ、ライル。マグダラのやり方を
引き継いではダメ。絶対にダメよ」
「何を言ってる?何の話だ?」
「代理型…」
「は?何?」
「お腹が空いて辛いなら、食べ物を食べれば、
苦痛はなくなるわ。でも、食べられない事態
に追い詰められていたら?
代わりに誰か…選んだ特別な誰かに、食べ物
を与える手もあるわ。その人に、食べ物を
沢山与えて、与えて、幸せな顔を見ると、
まるで、自分が食べている気持ちになれる」
「何を言っているのか、全然わからない」
「愛情、労り、癒し、思いやり…それも同じな
のよ、ライル。
レイシーにそれらを与える事で…自分も与え
られている気分になれる。その内、中毒して
しまう。レイシーが望んでもいないのに、
労り保護しようとする。自分が、欲している
からなのよ。止められない」
「何の話だ?やめてくれ、アマンダ」
「止めないわ。
マグダラは、まだ良いのよ、ライル。
彼女の役柄は母親。同性だし、年齢的にも相
応しかった。
あなたは、違うわ。レイシーの気持ちを考え
た事ある?レイシーにとってのあなたを?
若くて、すごいハンサムで、優しくて、大金
持ち。心から愛してくれ、大事に、大切にし
てくれる男性…あなたにとって、レイシーは
何なの、ライリー」
「さあ…難しい…そのように…考えた事がない。
どうだろう…わからない…ただ…ただ…大切な
掛け替えの無い…」
「あなたもマグダラと同じ。苦しんでる。辛い
のよね。一族の仕事…その非情さ、残酷な
側面が…」
「何が側面だ。全体丸ごと、冷酷極まりない
所行じゃないか。君は辛くないのか?」
「運命よ。生まれた場所を受け入れたら、私は
悩まない」
「僕は辛い…」
「だったら、きちんと逃げ出す方法を探すべき
だわ。辞めるべきなのよ、どんなに危険でも
人ひとりの人生を、利用してはいけないわ。
ライル!レイシーは、癒しアイテムではない
のよ!」
「どうすればいいのか、わからない…。幼い頃
からずっと、一族の仕事を学んできた。
勉強から人との付き合い、食事の仕方から
スポーツ、音楽…僕の人生の全ては、一族の
仕事を率いる為だ。今更…どうしようもない
逃げ出すなど…裏切りだ。卑怯だ。仕事は
定められた義務だ」
「幸せになるのが、人間の義務よ。不幸なら、
逃げ出さなくてはいけないのよ。
今のままでは、あなたはダメになる。廃人に
なるわ。
私も、出来るだけ力になる。レイシーにも
話すのよ、ライル。あの子は賢い。必ず
助けてくれるわ」
「レイスに?あの子には、話せない」
「なぜよ?」
「僕がレイスを守る立場だ。助けるのは僕で、
レイスじゃない」
「マグダラが、守りなさいとでも言ったの?」
「いや。僕とレイスの関係に、母は口を出した
事はない」
「酷い人ね、ライル。あなたは」
「僕が?」
「もう夜明けね。私は帰るわ。よく考えてね、
ライル。そして、忘れないで…どんな時も、
私はあなたの味方よ。あなたの為なら、何で
もする」
「ありがとう、アマンダ…気持ちは有難いよ」
「…。」
「…。」
「この家、ホールの壁から、海の底が見れるの
ね。改装したの?」
「ああ…レイシーは、海が好きだから」
「レイシーが、頼んだの?」
「いや…ただ…喜ぶかなっと…」
「で?喜んだ?」
「いや、ああ…どうなんだろう…た、たぶん…」
「レイシーの事も…ちゃんと考えて。本気で、
想ってあげてよ。あなたが幸せな人になれ
ば、今のレイシーは必要ではなくなるわ」
「なんだって?」
「あなたが今、見ているレイシーは、あなたが
見たいレイシーだという事。本当のレイシー
は、あなたが思うのと、たぶん全然、違う人
だわ」
「…。」
「それじゃあ、またね、ライリー」
「ああ…また…アマンダ」
「レイス?」
「ひっ、驚いたわ、ライリー」
「ごめんね。でも、僕も驚いた。まだ、夜が
明けたばかりなのに、どうしたんだい?
何をしてるの、レイス?」
「散歩」
「外出着じゃないか。嘘はいけないな」
「ライリー…」
「ああ、わかってる。干渉し過ぎだよね。
どうして、こうまで心配性なんだろう。
君は、僕の宝だから、レイス…」
「いいのよ、ライリー。アマンダは、もう
帰ったの?」
「ああ。僕の事を、ずいぶん心配している」
「彼女は、あなたの事を、よく知っているの
ね。私は何も知らないのに」
「君のせいじゃない。知って欲しくないんだ。
本当に大事な人には、話せない事もあるよ」
「そうね。でも、私にも出来る事があるわ。
あなたの為に、出来る事が」
「そのままの君でいてくれれば…」
「私と一緒に逃げて、ライリー」
「え…?」
「失踪するのよ。全てを捨てて。二人だけで、
どこか遠くへ行きましょう」
「そんな…」
「断ち切るのよ」
「僕と君には、無理だ」
「どうしてなの」
「え…その…そう、仕事が…」
「辞めたら、口封じに殺されでもするの?
私が知らないだけで、あなた、マフィアなの
ライリー。さもなきゃ、殺し屋?」
「違う。もっと恐ろしい姿をしてる。君の前に
いる男は」
「あなたは、まだ26歳。私は20歳。諦めるのは
早い。私と一緒に消えましょう、ライリー」
「無理だよ…だって…そう、お金がなければ、
贅沢させてあげられないし…」
「私が、貧乏など恐れると思うの?二人とも、
教育は受けている。普通の生活はできるわ」
「色々と、複雑な手続きもあるし…何年かかる
かわからない…」
「あなたを不幸にしている相手に、誠意なんて
尽くさなくていいわ。全てを捨てるの。今
すぐ逃げるの」
「レイス…」
「あなたの為だけじゃないのよ、ライリー。
私、もう、こんな生活、耐えられない」
「何て事だ。君は…不幸なのか、レイス?」
「ずっと大事にして貰ったわ。不幸とは違う。
本当に欲しいものが、手に入らないだけ」
「教えてくれ、レイス…君が、本当に求めて
いるものを…」
「あなたよ、ライリー。私が求めているのは、
あなた。あなた、だけ」
「僕?僕など、もう手に入れているじゃないか
レイス。僕の全ては、君のものだ」
「違うの、そうじゃなくて…ああ、もう嫌。
私と来て、ライリー。行こう、一緒に」
「待ってくれ、待って…すぐには…とても…」
「怖いのね」
「だ、大丈夫。心配しないでいい。僕に任せて
くれれば…」
「心配なんて、してない!」
「少し、考えさせてくれ、レイス」
「もちろんよ、待つわ。でも、長くは待たない
わよ。私達は、若い。だからこそ、時間が
無いの」
「わかった。決断する。約束するから…」
ライリー編その3に続きます。
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasamiです。
「ヘルズスクエアの子供たち」がお気に入りの
作品です。
あなたのバービーは何を語る?⑩ライリー編その1
「おかえりなさい、ライリー。ずいぶん早いの
ね、まだ3時よ」
「アマンダ?久しぶり。今日は調子が悪くてね
逃げ出してきた。君こそ、仕事の鬼が…ここ
で何を?平日は、太陽など目にしない人間だ
ろう?」
「あなたに話があったので、秘書に電話したら
もう帰ったと言うじゃない。慌てて、私も
早退して、帰宅を待っていたのよ。あなたと
違って社長様じゃないけど、あなたと同様、
それぐらいの我が儘は、通せる立場。
夕食に出かけない?」
「悪いが、酷く疲れてる。早くベッドに辿り着
いて、眠りたい。倒れそうだよ」
「こんな広大な庭園など作るからよ。門から家
まで、徒歩一時間。景観維持で車道も無し。
あなたの趣味ではないでしょうに。
花畑に森に、池に川。草原に山に、海。
あの子の為に…次は自宅に、何を持ってくる
ああ…洞窟はもう、あったわね。
庭など、コンクリートで固めてしまえば、車
でビューンと、家まで15分で済むわ」
「ハ…ハハハ。君らしいな。とにかく、今は
仕事の話など御免だ」
「私とあなた、それぞれの一族の仕事は、暗黙
の了解から成り立っているのよ。代々、遥か
昔から。口に出してはいけないの。仕事の話
じゃないわ」
「ならば、訂正しよう。何の話でも御免だ。
僕だって、耐えきれなくなる事はあるさ。
朝の4時から、冷酷無情なビジネスの世界に
いたんだ。これ以上、1分だって耐えられな
い。今はただ…ただ…会いたい…会いたい…」
「何なの、ライル。聞こえないわ。あなた…
大丈夫?」
「ああ…いや…ああ…すまない、アマンダ。僕は
時々、ひどい礼儀知らずになるね。君は元気
かい?うまくいってる?」
「元気かどうか、自分で確かめる事も、出来な
かったみたいね。私達は、隣人…幼なじみ…
仕事のパートナー…なのに、ここ何週間も、
顔を見てないのよ。会社も休みがちだし、
電話も出ないし、メールも無視。心配だわ」
「会社の業績は順調だし、何の問題も無し。
第一、君には関係ない」
「馬鹿げた事、言わないで。確かに、私は、
あなたの会社の人間ではないけれど、社長の
動向は大事なの。我が一族と、あなたの一族
は、切っても切れないほど絡まり合っていて
深い縁でつながれている。私達は、一族内の
競争に打ち勝って、ビジネスを継ぐ立場。
関係ないでは済まないわ。それだけじゃない
私達は、ずっと支え合ってきたじゃない。
共に歩んできたわ。好む好まないに関わらず
いつも傍にいた。
心配ぐらい、する権利はあるわ」
「わかった、わかったよ。君にはいつも負けて
しまうな。オムツ姿の頃から、ずっとね。何
を聞きたいんだい?」
「あなたの顔色が悪い事…目に隈が…それに痩せ
こけて…落ち着きが無いし…具合が悪そうよ。
あなたは、お酒もタバコも麻薬もやらない、
ヘルシー人間。不治の病も、持病も無し。
なのに、こんなにも、やつれ果てて。
あのね、ライル。慌てて話せる事では無いの
時間を取って頂戴。ただし、今日よ」
「今日でなくては、ダメか?」
「引き伸ばせば、機会は失われる。いつも、
そうして逃げるんだから。ダ・メ。今日よ」
「わかった。じゃあ、夕食を…あれ?あれあれ
あれ?あの子は…また!」
「どうしたの、ライル?ちょ、ちょっと!どこ
に行くのよ?そっちは崖よ!」
「レイシー!」
「ライリー!帰ってたのね」
「ライル?ああ…崖下に、レイシーがいたの。
よくわかったわね」
「あの子がどこにいようと、僕にはわかる。
岩場に出てはいけないと、あれほど言っただ
ろう、レイシー!潮の流れが激しいんだ!
溺れたら、どうする!ケイトはどこだ?
ボディーガードのくせに、傍を離れるなんて
クビだ!」
「よく聞こえないわ!怒ってるの?」
「君が、地球を破壊した所で、僕は怒りはしな
いだろうさ、レイス!
でも、危険な事は別だ!砂浜の方に回るんだ
早くしなさい!僕もすぐに行くから。足元に
気を付けるんだよ、レイス、滑るから…ほら
よく注意して…危ない!」
「大丈夫よ、ライリー。すぐに行くわ」
「やれやれ、お転婆さんだ。怖くて仕方ない。
それにしても、ケイトは何をしてるんだ、
全く…忌々しい!」
「ライル、落ち着いてよ」
「え?ああ…。
びっくりさせないでくれ、アマンダ。
まだ、いたのか。こういう事情だから、また
後で。レイシーが…」
「は?何、言ってるの、ライル」
「君も見ただろう。あんな薄着で、水飛沫を
浴びて、レイスが風邪をひく。こんな時の
為に、ビーチハウスに毛皮を仕舞っているん
だ。早く、持って行ってあげないと。
じゃあ、これで。またね、アマンダ」
「ああ、もう…。仕方ないわね。待って頂戴、
ライル。私も行くわ」
「いや、それは、その…。いや、悪いがね、
アマンダ。レイシーが…」
「まだ、予定を立てていないのよ、私達。
それに、レイシーに挨拶してないし」
「大切な家族の時間なんだ。出来れば、遠慮し
てくれないか」
「そうでしょうね。でも、今度ばかりは駄目よ
ライル」
「ライリー、おかえりなさい」
「レイス…レイス…やっと会えた…」
「朝、起きたら、もう、いないんだもの」
「ごめんね、レイス。仕事だから…ごめんね。
何年も離れていた気分だよ。寂しかった?」
「いいのよ」
「ところで、さっきの危険な真似だが、レイス
ケイトはどこだ?」
「こんにちは、レイシー」
「こんにちは、アマンダ。会えて嬉しいわ」
「口を挟まないでくれ、アマンダ。ケイトは
どこなんだ、レイス」
「落ち着いてね、ライリー」
「どうして、二人とも、僕に落ち着け、落ち着
け、と言うんだ?
落ち着ける訳がないだろう!」
「ケイトなら、家の中で、私を探してるわ」
「君が危険地帯にいて、ケイトが、暖かくて
安全な家にいる?どういう事だ?」
「だって…たまには一人になりたいもの…。
だから、三階のトイレの窓から、こっそり
抜け出したの」
「さ、さ、三階の窓から!?な、な、なんて
危ない真似を…レイス!」
「いいじゃない、ライル。レイシーだって、時
には、プライバシーが欲しいわよ」
「君は黙っててくれ、アマンダ」
「お願い、彼女をクビにしないで、ライリー。
私がいけないのだもの。でも…そんなに悪い
事かしら?」
「君は、僕の宝なんだよ、レイス。この世に
一つしかない、唯一無二の宝物に、警備を
つけないバカがどこにいる。
もう二度と、こんな真似をしないと約束して
くれ、レイシー。
そうすれば、ケイトはクビにしないよ、今は
ね、とりあえず」
「レイシーが気の毒よ、ライル。それじゃあ、
脅迫じゃないの」
「うるさいぞ、アマンダ」
「ありがとう、アマンダ。私は大丈夫よ」
「レイス、おいで。濡れてしまう。寒いよ」
「ちっとも冷たくないわ。もう、春なのね。
アマンダ、あなたも、水に入らない?」
「私は、岩の上にいるわ。濡れた砂は嫌い」
「さあ、レイス。君も毛皮にくるまりなさい。
暖かくして…ほらほら。君の小さな手が…
こんなに冷たくなって…」
「ライリー…」
「うん?どうしたの?」
「いい事、思いついたの」
「何だい?なんでも、言ってごらん」
「今日は、砂浜でお夕食にしない?最近、食欲
が無いみたいだし、気分が変わっていいかも
しれないわ」
「素晴らしいね!最高だよ、レイス。鳶に、
食べ物を取られないように、注意しなくちゃ
ね。ハハハッ、この間、クッキーを取られた
の、憶えているだろう?君ときたら…ハハハ
さっそく、準備をさせよう!」
「あなた、倒れそうじゃなかったの、ライル?
すぐにベッドに入りたい、眠りたいって、
そう言ってたじゃない」
「そうなの、ライリー?だったら…」
「例え、具合が悪かったとしても、君の顔を
目にした瞬間に治ってしまうんだ、レイス。
暮れていく海と、君と…これ以上の処方箋が
あるかい?もう、すっかり元気一杯だ。
ああ…僕のレイシー…綺麗だよ、レイス」
「なら…いいんだけれど。そうだわ、アマンダ…
あの、あなたもご一緒にお夕食をいかが?」
「ありがと、レイシー。でも、結構。私、
魚介アレルギーなの」
「そうなのか?僕は、初耳だが」
「ごめんなさいね、レイシー。ライルと大事な
打ち合わせがあるの。席を外してくれる?」
「そんな必要は無いよ、レイス」
「いいのよ、アマンダ。何も問題は無いわ。
私は、家に帰って、夕食の準備をする」
「ミラにさせればいいよ、レイス。その為の
家政婦だ。君はのんびりしていなくちゃね」
「自分で出来るわ」
「…レイス、ミラはどこだ?」
「あの…眩暈がするというから、車で自宅まで
送らせたのだけれど…」
「な、なんだと?」
「彼女、貧血気味だから…知ってるでしょう」
「いや、知らんね」
「ライリー…あの…私は大丈夫だから」
「レイス…君は、本当に優しいんだね。ミラは
働き過ぎなんだろうよ。長期の…うんと長期
の休暇をあげないといけないな」
「私…ライリー…あの、もう行くわね。
さようなら、アマンダ」
「またね、レイシー」
「火を使うんじゃないよ、レイス!包丁も触っ
てはいけないよ!怪我したら、大変だっ」
「彼女、もう行っちゃったわよ、ライル。
聞こえやしないわ」
「缶切りに気を付けるんだよ!バーナーも
触れたら駄目だっ」
「ライルったら!」
「すまない、アマンダ。一本だけ、電話を掛け
させてくれ。二分で済む。それが終わったら
心して君の話を聞くから」
「いいわよ、もう…好きにしたら」
「ありがとう」
「もしもし?ライリーだ。ミラの首を切れ。
どのミラって、ミラが何人もいるわけ無い。
うちの家政婦のミラだよ。割り増し退職金
は、気前良く積んでやれ。レイスを逆恨みで
もされたらかなわん」
「ライル!そんな事はしちゃ駄目よ」
「黙っててくれっ。あ?いや、君に言ったわけ
じゃない。こっちの話だ。
代わりの者を早急に手配してくれ。本人は
もちろん…そう、そう…解ってるじゃないか、
身内全員、キレイな人間かを、徹底的に調べ
上げろ。過去に、駐車違反一つでもあったら
承知しないぞ。じゃあ、頼むよ」
「ミラをクビにするの?レイシーが、彼女を
帰宅させたんじゃない。体調不良なら、誰
だって同じ事をするわ。レイシーの判断は
正しいのよ」
「例え、死の間際だろうが何だろうが、僕が
帰るまでは、レイスの傍にいるべきなんだ。
そういう契約で、高給を払って雇ったんだぞ
色々と特典付きでな!ミラの母親が、最高級
老人ホームで悠々自適の生活を送れているの
は、誰のおかげだ?ミラの子供達が、私立の
学校に通えているのは、誰のおかげだ?
え?君か?」
「クビになったら、特典も終わり?」
「約束を違えたのは、僕じゃない。ミラの方
じゃないか。あの…恩知らずめっ」
「あなたの部下が、具合が悪かったら?早退
させるでしょう?」
「仕事とコレとは、別の話だ。それくらい、
解るだろう」
「ミラにとっては、仕事の話よ。それに、コレ
とは何よ、コレって?レイシーは、特別と
いう訳なの?」
「何を言ってるんだ、君は?当たり前じゃない
か」
「ライル…レイシーは、小さな子供じゃないわ
二十歳を過ぎてるし、ケイトもいる。
あなたの地所と、七軒…違った、八軒の家
は、全て最新の警備システムで守られている
し、パトロールしている警備員は何人?20人
を越えてるんじゃないの?ミラが早退したか
らといって、何が起こるっていうのよ?
レイシーは、死にはしないわよ」
「この問題について、これ以上、話すつもりは
ない。これは、僕の家族の問題で、君には
関係ない。それより、君の話を聞こう。
すまない、待たせたね」
「今夜、夕食が済んだ頃、あなたの家に行くわ
ね。そこで、しっかり話し合いましょう」
「それは悪いよ。僕が訪ねよう」
「私は、あなたと違って元気なの。大丈夫よ」
「わかった。久しぶりに語り合うのも悪くは
ないな。待ってるよ」
「どうも、のっぴきならない状態になっている
ようよ、あなたは」
「そうかな。自分では解らないが」
「私は、あなたにとって、貴重な存在よね、
ライル。
遠慮せず、怖がらず、率直に意見する。
あなたの周りには、そんな人はいないわ」
「僕もわかってるんだ、アマンダ。君の優しさ
も、僕の為を想ってくれてる事も。嬉しいよ
ありがたい」
「ああ…ライル…私…」
「何?」
「何でも無いわ。また、後で」
「喉が詰まってしまいそうだよ、レイス。
話してごらん」
「え?」
「話したい事があるんだよね?」
「ええ…でも…言い出し難くて」
「僕の態度が良くないのかな?直せる所は直す
遠慮なく言って欲しい。僕のどこが…?」
「あなたは、何も悪くないわ、ライリー。
心配しないで」
「ただ…私、今の様に遊んでばかりはいけない
と思って…」
「学校を卒業したばかりじゃないか。堂々と
遊んでいていいのに、君は毎日、お稽古、
スクール通いだ。もう少し、のんびりして
いていいんだよ」
「あなたも、アマンダも、いえ、世の中の人も
みんな、バリバリ働いているわ。私も仕事を
すべきだと思うの」
「な…ちょっ…ちょっと待って…えっと…レイス
そ、その…え…ええ?レ…レイス…レイス…」
「ライリー、大丈夫?」
「大丈夫…いや、全然…そうでもないかと…いや
大丈夫…だけど…だけど…ど、ど、ど、えっと
ど、どうして、どうして…そんな事を…?」
「人殺しをしたい訳じゃないわ、ライリー。
ただの仕事よ。みんな、しているわ」
「君は、君は、働く必要なんか、どこにも無い
母は、巨額の遺産を、君と僕に、平等に残し
てる。一生涯、贅沢に遊び暮らせる額だよ。
なんの紐もついてない。条件無し、自由に
使える財産だ。それとも…僕からのお小遣い
が、充分でないのかい?額を増やそうか?」
「何を言ってるの、ライリー!あなたが、毎月
くれるお小遣いは、普通の勤め人の年収と
同じ。足りない訳がないでしょう。貰い過ぎ
だわ」
「僕は、君の行動を制限はしないよ、決して。
何をしても、何を買っても、全て君の自由だ
どこに行くのも、詮索はしない。まあ、その
なんだ…運転手つきの車で、ボディーガード
を伴う、これは守ってもらわなければいけな
いけれど…それは譲れない部分だけれど…
あとは、何をしても…」
「あなたも、大層な資産家よ。でも、働いてい
るじゃないの」
「後継ぎだから、仕方がないんだよ」
「でも、私も…」
「わかった、わかったよ、レイス。君の希望は
絶対だ。どんな事でも、必ず叶える。
僕に全て任せておきたまえ」
「え?」
「好きな職種は、何かな?ただ、僕に告げて
くれればいいんだ。心のままに、望むままに
君に相応しい職場を探してあげよう。
何の心配も要らないよ。
普通の会社でも、芸能関係でも、美術関係?
動物、スポーツ、どんな勤めでもいい。
会社、組織ごと、買いとってやる。
なにより快適な職場にしなくちゃね。
君に説教したり、叱ったり、そんな奴らは、
一人だっていさせるものか。辛い思いは、
絶対にさせないからね」
「…。」
「レイス?」
「…。」
「レイス!大丈夫かい?」
「え…ええ」
「それで?」
「あの…ゆっくり考えてからにするわ」
「そうか。それが一番だよ。焦る必要など、
全く無いのだからね。それに…正直な所、
僕は…こうして…ただ、いつも傍にいて…
優雅に、のんびりしていて欲しいんだよ。
レイス…君は、僕の宝石だ…かけがえのない、
至高の存在なんだよ…」
「わかってるわ、ライリー。ええ、よくわかっ
てるの」
ライリー(サンディ)編、その②に続きます。
エブリスタで、小説も公開中。
『たくましき人々』では、様々な人々の
個性豊かな生き様を綴っています。
あなたのバービーは何を語る?⑨後編
「先日の話の続きを聞かせて下さい」
「ライリー…つまり、過去のあなたとの間に
起こった事は、もう全部、話したわ。十分で
しょ」
「全く不十分です。疑問が解消されてません。
あなたは、四年前、ライリーに『青の貴婦
人』を貰った。それなのに、あなたは今に
なって、いきなり現れ『青の貴婦人は、どこ
にあるのよ?』なんて、この僕に聞く。
失くしたのですか?」
「サンディ…私…盗らなかったの」
「持っていけと言われたのに?」
「持っていくフリして、こっそり置いて帰った
のよ」
「は?なぜ、そんな事を…?」
「わからない」
「何かしら理由はあるはずです」
「ただ…あなたが…いや、ライリーが…とても
ハンサムで、大金持ちで、なのに、とてつ
もなく不幸そうで…キツイ口調とは裏腹に、
なんか今にも泣き出しそうで…なんて言うの
かしら…本当に可哀想だったから」
「それだけの事で…ですか?」
「いけない?」
「世間の一般常識からすれば、泥棒しなかった
のは、いけなくありません。
ただ…よく生きてましたね。悪党グループに
どう言い訳を?」
「あなたの…ごめん、ライリーが持っている
『青の貴婦人』は贋作だった、と嘘ついたの」
「生皮剥がされなかったですか?」
「スキニーはすごーく嫌そうな顔をした。でも
彼は、それ以上は絡んでこなかった。お金を
返せとも言わなかった」
「スキニーって?」
「あの、悪党グループの頭目。怒ったり、喚き
散らしたりもしない、脅しをかけてもこない
なんて、らしくなかったわ、彼。
どうしてかしら?」
「多分、あなたに、立派な美術品泥棒たる資格
があるかの試験だったんでしょう。
で、あなたは、落っこちた訳ですね。
しかし、わからないなあ。
あなたの嘘に、騙されたのか騙されていない
のか…スキニー達は、相変わらず、ライリー
が『青の貴婦人』を持っている、と考えてい
る。なぜです?」
「四年の間のどこかで、嘘がバレたんでしょ」
「ライリーが、僕だという事も知っている。変
な言い方ですがね。本人すら、忘れていると
いうのに。なぜ、わかったのだろう」
「調べたんでしょ」
「ややこしい話だ。スキニーって人も、きっと
そう考えていますよ。でも、枝葉を取り払い
煎じ詰めれば、こういう事ですよね…
『青の貴婦人』を、スキニーに渡すまでは、
僕達二人とも、安心して生活できない、と」
「スキニー達は、あなたが…なんていうべきか
そう、ライリー時代に住んでいた屋敷は、
もう徹底的に調べたらしいわ。今も、昔の
ままに維持されているから。
ある人が、管理しているらしいけど、どんな
酔狂かしらね。維持費ったら、凄まじい金額
になるはずよ。彼女は、自分のお屋敷がある
から、そこに住んでもいないのに…」
「住む人もいないまま、保全されているんです
ね」
「スキニーは、もちろん管理者には内緒に、
1ミリ単位で邸を調べたらしいけど。
『青の貴婦人』はもちろん、他の宝石も全部
なくなってたの。謎だわ。だから、スキニー
はパニック起こしちゃって、サンディが隠し
持っていると疑ったのよ。拷問にかければ
吐くだろう…て」
「あなたが、全て盗った可能性もあります。
疑われなかったのですか?」
「疑ってはいるでしょうね。でも、ライリー
は、行方をくらまして消えた。
サンディと名を変えて、別の町で生きている
私よりずっと怪しいわ。だから、生皮剥がさ
れるのは、あなたが先なのよ」
「それは困ります。だから…
早速、回収にいきましょう。『青の貴婦人』
を」
「話を聞いていなかったの?どこにいっちゃっ
たのか、わからないの」
「僕にはわかります」
「記憶が蘇った?」
「いや、全然。だけど、ライリー自身が言って
いたじゃないですか」
「え?」
「持っていかないなら…窓から投げ捨てるぞ、
とね」
「まさか…まさか!時価数十億という金額の、
宝石コレクションよ!そんなバカな…庭に
投げ捨てたって言うの?」
「彼は、そうしたんですよ」
「窓から?庭に?投げて?捨てた?」
「理由はわからないが、あなたの話によれば、
彼は苦しんでいた。
全てを捨ててしまいたかったんでしょうね」
「絵画や彫刻のコレクションは、捨ててなかっ
たわよ」
「おそらく、途中で邪魔が入ったのですよ。
それはまあ、置いといて…
ライリーの屋敷に案内して下さい。
庭を捜索しましょう。全く面倒ですね。
あなたが最初から、素直に盗んでいれば、こ
のような事には…」
「過去の事、グチグチ蒸し返すの、大嫌い」
「よく言いますよ。あなたが、無理やり過去に
引きずり込まなければ、僕は、平和に暮らせ
ていたのに…」
「サンディ…そうよね…そうよ…その通りね…」
「いや…あの…」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「いやいや…僕の方こそ、謝ります。
この問題は、僕の過去でもある。
向き合うべきだ。逃げるのは、卑怯ですね。
なんか、緊張して…落ち着かなくて…それに
少し怖くて。あなたに当たってしまいました
「記憶喪失なのよ、怖いのは仕方ないわ。
でも、私達、しばらく一緒に過ごすのだか
ら、仲良くやりましょ」
「そうですね」
「シェモーナ…ここ…個人の庭なんですか」
「ご要望通り、ご案内したの。ここがライリー
の庭。その一部よ」
「一部?門や塀が無い理由がわかりました」
「町を柵で囲わないのと同じかな。広すぎる」
「正面に見えているのが、ライリーの家?」
「その一部」
「一部?」
「敷地内に、八軒あるのよ」
「それなのに、一人暮らし?非常識な青年だ」
「自分で建てたクセに…」
「それを言われると…。こんなにも財産家とは
ライリーの仕事は、何なのですか?」
「確か…中程度の製薬会社の代表だったと思う
けど」
「三十にも年が届かないのに?」
「一族経営だから。でも、それだけで、ここま
での暮らしは出来ないと思うわ。代々、受け
継いだ財産があるのでしょうね」
「それだけなら、いいのですが」
「スキニーも、同じ事を言ってた」
「全ての家を、一軒ずつ見ていきましょうよ」
「そんな必要は、ありません。宝石の部屋が
あった家の周囲だけを、捜索すればいいん
ですから」
「それはそうだけど、一応、ぜんぶ見て回った
方がいいわ」
「なぜです?」
「あなたの為よ。記憶が蘇るかもしれない」
「なるほど…僕の為に…ね」
「望んでいないかもしれないけど」
「一人だったら、多分、逃げ出してました。
忘れ去り、捨てた過去を訪ねるのは、本当に
怖いですね」
「ライリーは…私にこう言ったのよ。人間一人
の命と、引き換えに出来る物など無い…と。
そんな人が、故意に誰かを傷つけたりすると
は思えないわ。もし、そんな過去があっても
きっと何か深い事情があって、不可抗力だっ
たのよ!だから…怖がらないで…」
「ありがとう、シェモーナ。あなたの言う通り
であって欲しい」
「どんな過去でも、あなたは、今のあなたで
いていいのよ。忘れないでね、サンディ」
「覚えておきます」
「思い出した?」
「全然、ダメです」
「自分の家でしょ?記憶に無い?」
「無いですね」
「こっちの家は?思い出した?」
「全然、ダメです」
「思い出した?」
「イライラしてます」
「ごめんなさい。しつこく聞きすぎね」
「あなたに腹を立ててはいません。苛立って
いるのは、ライリーに対してです」
「ライリーは、あなたなのよ」
「実感が無くて。ねえ、シェモーナ。僕が住む
街には、ホームレスやストリートチルドレン
が大勢います。ライリーの八軒の屋敷に、
彼ら全員が入れる。それを思うとね…腹立た
しくありませんか?」
「別に。世の中、そんなものじゃない?」
「僕は、そう思えませんね」
「あれが、私が忍び込んだ家よ。坂の下に…
見えるでしょう」
「宝石の部屋は?」
「家の裏手側よ。その先は、緩やかな崖」
「ライリーが、どれだけ強肩でも、そこまでは
宝石を投げ飛ばせないでしょう」
「発見されないままに、四年も放置されていた
のを忘れてるわ。嵐もあったし、豪雨も発生
したでしょう。どこまで転がっていったか、
わかったものじゃないわ」
「崖の下には、何があるんです?」
「池、川、草原、林、橋…」
「個人の庭に?そこから、宝石一つを探しだせ
と?千年かかりますよ。全く、なんて事をし
てくれたんだ、ライリーは」
「自分でしたくせに」
「うっ…文句も言えませんね…」
「見つかったわ!」
「え!そ…それが『青の貴婦人』ですか!」
「違う。ライリーの宝石コレクションの一つ
だけど『青の貴婦人』ではないわ」
「青い石なのに…」
「だから?あなたも、ライリーも、本当に宝石
の知識がないのね」
「僕も見つけました!これはどうです?」
「ダメ。『青の貴婦人』じゃないわ」
「青い石だけど…」
「だから!もう…」
「見つけたわ…ティアラだけど…」
「小さいですね」
「でも、高価な物なの!しっかり、仕舞ってお
いてよ」
「僕も、見つけましたよ…でも、鑑定を頼むま
でもなく『青の貴婦人』じゃないですね」
「わかるようになってきたじゃない」
「だって、ピンクの石ですから」
「もうちょっとなんだけど…」
「落ちないで下さいよ!」
「痛っ」
「大丈夫ですか?」
「尻餅ついちゃった」
「やれやれ。これは長期戦を覚悟しないと。
続きは、明日にしましょう。
今夜、泊る所はありますか?」
「行く所があるの。サンディは?」
「友達に泊めてもらいますから」
「じゃあ、明日ね」
「シェモーナ…あなたという人は、全く」
「何か?問題ある?」
「昨日までのポカポカ陽気はどこへやら、今日
は大雪なんですよ!なんで、もっと捜索に適
した、汚れてもいい服で来ないのです?
そんなお洒落な、しかも白い服とは」
「酷い!」
「え?え?」
「私が、借金だらけでお金が無いの、知ってる
クセに。服なんて買えないわよ!」
「よく意味がわからないのですが…」
「私の服、みんな貰い物なの。スキニーが買っ
てくれた服しか持ってないのよ」
「スキニーって、悪党グループの頭目ですよ
ね?」
「そう」
「彼が…その服を?」
「悪い人だけど…会う度に素敵なプレゼントを
くれるの。この帽子もいいでしょ?
有名店で買ってくれたのよ。すごく高価いん
だから!」
「はい?ええっと…彼が…そこまでするほど、
あなたの事を好きなら…生皮剥がされるなん
て、怯えなくてもいいのでは?」
「公私の別は、しっかりつける人だから」
「やっぱり、よくわかりませんが…いかにも
寒そうですよ。僕のコートを着て下さい」
「好みじゃないから、嫌。絶対、着ないわ」
「はあ…美意識も結構ですけどね。凍死しない
で下さいよ」
「見つけた!『青の貴婦人』じゃないけど…」
「今日も色々と発見しましたけれど、どれも
『青の貴婦人』ではありませんでしたね」
「また見つけた!違う品だけど…。うー…寒くて
死にそうだわ。また、明日ね!」
次の日…。
「昨日の雪が、今日はもう、消えているとは。
暖かい…天候までメチャクチャだ」
「見て、サンディ!昔のテラスよ、素敵ね」
「テラス?」
「自然に出来た洞窟を、くつろぎのスペースに
するのが、流行った事があってね。テラスっ
て言われていたのよ」
「それは…そこに落ちている…もしかして…」
「サファイアだわ!価値は相当よ。でも…」
「外れなんですね。『青の貴婦人』ではない」
「待って!崖の上で、何か光った!」
「気をつけて下さい、シェモーナ!忘れている
らしいですけどね、僕らは、他人の地所に、
不法侵入してるんです!骨折しても、救急車
を呼ぶというわけには、いきません」
「次は、ここね。今度こそ、見つかる気がする
わ」
「ここ…?こんな広大な地所から探すなんて、
全世界の夕食から、特定のシチュー1杯を探
し出すような芸当ですよ…」
「サンディ…サンディ!サンディ!サンディ!
ついに…ついに…見つけたわ…ついに!
『青の貴婦人』よ、見つけたわ!」
「これが…?青くないじゃないですか」
「だから?」
「黒い石だ。なぜ『青の貴婦人』って呼ぶので
す?」
「知らないわよ!当時の人に聞いたら?」
「大したこと無い石に見えますが。これが、数
億の価値ある物ですかね?」
「石自体は、それほど高価ではないの。価値を
発揮するのは…台座の中…ほら、出てきた」
「なんです?その古めかしい紙は」
「ラブレターよ…。ヘンリー八世が愛人に送っ
た物なの。奥さんにバレると怖いから、宝石
の中に隠して、プレゼントしたのよ」
「その方が、もっと怒られそうですが。それに
ヘンリー八世が、キャサリン王妃を怖がった
なんて、信じられませんね」
「アン・ブーリンの方」
「それは…さぞ怖かったでしょう」
「読んでみる?」
「いや、結構です。どうせ、下らない文句が
並んでいるに決まってる。奥さんを裏切る
なんて、最低じゃないですか。数億の価値が
聞いて呆れますよ」
「欲しい人には、価値があるの」
「これは、あなたの物よ、サンディ。ライリー
の所有物だったのだし、ライリーは、あなた
なんですもの。『青の貴婦人』も、他の宝石
も、あなたの物」
「絶対に要りません!」
「法的には、どうなるのかは知らないけど…」
「法律など、どうでもいい。欲しくない」
「困窮している人達が、救えるじゃない?」
「そんな事は、したくありません」
「どうして?」
「僕は僕として…サンディとして…目の前に…
現実に生きている…大切な人達の手助けを
したい…自分の友達…自分が好きな人達を…
全くの私情で…支えていきたいんです。様々
な人の力を借りながら…僕を好きでいてくれ
る人達と共に…そうやって生きたい」
「ライリーには、それが出来なかったのね。
だから、あんなにも不幸だった」
「僕は、今、とても幸せなんです」
「…」
「ライリーには、戻りたくない!」
「わかったわ…いいのよ、サンディ。それで、
いいのよ。
『青の貴婦人』はスキニーに渡すけど、他の
宝石は、ぜーんぶ、私が貰うわ。あなたには
一つもあげないっ」
「…ありがとう、シェモーナ…ありがとう」
「それじゃあ、これで…さようならね。寂しい
けれど…あなたの為にもね…サンディ」
「シェモーナ?」
「何?」
「まさかとは思うけど…宝石を現金化して、
またギャンブルしようなんて、考えてません
よね?」
「な…いや…べ、別にいいじゃない。今までは、
確かに不運続きだったけど、それは、少ない
資金しかなくて、粘れなかったからよ。大き
く賭けるお金があれば、うまくいくわ!」
「シェモーナ!」
「何よ?」
「いや…なんでもありません。あなたに幸運が
ありますように」
「サンディ…」
「何です?」
「ライリーの家を維持している人…敷地の隣の
屋敷に住むアマンダって人なの。ライリーの
幼なじみだと聞いたわ。覚悟が出来たら…
いつか会ってみたら?」
「いつか…ね。色々、ありがとう」
「あなたにも幸運がありますように」
「さようなら、シェモーナ」
「さようなら、サンディ」
次回は、ライリー(サンディ)とアマンダ、
レイシーのお話です。
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasamiです。
たくましく生きる庶民の姿を書いてます。
よろしくお願いいたします
あなたのバービーは何を語る?⑨中編
「四年前、私は、ライリーの…つまり、昔の
あなたの家を訪ねた。広大な敷地に立つ、大
豪邸だったわ。門から玄関まで、20分は歩い
たわね。家も、あまりにも大きいし、幾つも
玄関があって、どのドアを叩いたらいいのか
わからなかった。とりあえず、一番近くの
ノッカーを鳴らしたけれど、家人の耳に届く
とは思えなかったから、30分ぐらいも、叩き
続けたの。やっと、あなたが、出てきた時に
は、緊張してたのが、すっかり取れてたわ」
「君は誰だ?」
「あの…ライリーさんですか?」
「ああ、そうだが」
「未亡人共済組合から来ました。寄付をお願い
します」
「寄付か…ポケットマネーでよければ、すぐ」
「いや、あの…出来れば、その…その、小切手で
お願いします」
「ここには無い」
「…」
「…」
「仕方がないな…まあ、入って」
「ありがとうございます!」
「小切手を取りに行くから、ホールで待ってい
てくれたまえ」
「いや、あの、その、あの…ご一緒します」
「書斎にあるんだ。遠い」
「でも…行きますわ。もし、よ、よければ…」
「ふむ…良くはないが、考えてみれば、悪くも
ない。好きにしたまえ」
「広いですわね。まるで迷路だわ。迷子になり
ません?」
「2、3の部屋しか使ってない。従ってルート
は、いつも同じだ。迷う事は無い」
「素晴らしいお屋敷ですけど…あちこち電球が
切れてるし、ゴミが落ちてますわ。奥様は、
使用人の方に、注意した方がいいわ」
「結婚はしてないし、誰も雇っていない。僕は
一人暮らしなんでね」
「え?こんな広大なお屋敷に、一人ですか?
でも、家政婦さんくらいはいるでしょう?」
「完全に一人。一人っきりだ」
「どうですかね…それって…」
「奇妙な言い方だな。どういう意味なんだ」
「べ、別に…深い意味はありませんけど…
なんだか、このお屋敷、女性向けのデザイン
の様に感じるので。女主人に合わせて作られ
てるみたいに」
「そうか」
「…」
「着いたよ。この広間の奥が書斎だ。どうぞ」
「いいお部屋だわ。立派な本棚…でも、本が
ありませんね」
「本には興味が無い。ところで、小切手をどこ
にしまったか、思い出せなくてね。少し時間
をもらおう。ソファにでも、座ってて」
「ありが…いえ、止めておきますわ」
「なぜ、後退りするのだ?」
「なぜって、その…。
肩掛けが置いてあるし、詩集が伏せたままで
す。まるで、その…その…」
「だから?」
「一人暮らしだと仰ったけれど、誰か女性がい
て…今は席を外しているけど、すぐに戻って
くる…そんな感じがします。でも…花は枯れて
ますのね。細く美しい手が、この花を活けて
いた時は、色鮮やかに咲いていたでしょうに
やっぱり、お一人なんですね…今は」
「…」
「ライリーさん?大丈夫ですか?」
「え?ああ、何でもない。小切手を探そう」
「お願いします」
「まったく…どこに仕舞ったんだか…ああ、紅茶
かワインはいかがかな。悪いが、コーヒーは
無い。見たくなくてね」
「いえ、結構です。ワインが沢山ありますのね
みな、価値あるワインばかり」
「ああ…そう…僕はよく知らないが。興味が無く
てね」
「床に転がっている、そのワイン、稀少な逸品
ですわ。なぜ、放り出していらっしゃるの」
「どうでもいいからだ」
「…」
「やっと小切手が出てきた。
宛先は…未亡人共和組合、だったかな」
「ええ」
「そうなのか?本当に?」
「ええ!」
「それじゃ、これをどうぞ」
「ありがとうございます。では…私はこれで…」
「見なくていいのか?」
「え?」
「小切手を渡されたら、必ず宛先と金額を確認
するものだ。普通はね。なのに、君は、すぐ
袖の中に突っ込んだ。見ていない。
どうでもいいのかな」
「今、見ます!結構です、これで。それじゃあ
私、帰りますわ。お邪魔しました」
「玄関までお送りしよう」
「いえ!あの、その、大丈夫ですわ。ご足労
いただかなくても。自分で帰れます」
「さっき、迷路の様だ、と言っていたが」
「順路は、覚えてますから」
「そうか。それでは、そうして貰おう。疲れた
のでね」
「ドアに警報装置などありましたら、スイッチ
を押していきますけど」
「警備は一切していない」
「警報ベルも無いんですか。こんな豪邸なのに
無用心じゃありません?」
「守るべきものなど、もう何も無い」
「そうですか…。わかりました。
さようなら、ライリーさん」
「お嬢さん、お名前は?」
「シェモーナです」
「シェモーナ。君は、この後、仮装舞踏会にで
も、行かれるのかな」
「いいえ。なぜです?私の格好、どこか変です
か?」
「いや、ちっとも。ただ、仮面をつけている様
に思えたのでね」
「…」
「気にしないでくれたまえ。
さよなら、シェモーナ」
「ええ…さようなら」
その夜…
カチッ
「キャッ、いきなり何なのよ!」
「灯りをつけただけだ」
「ライリーさん…」
「こんばんわ、シェモーナ」
「真夜中に、真っ暗闇の部屋で、一体、何して
たのよ、あなたは!」
「最近、眠れなくてね。物思いにふけってた。
いけないか?
ところで、こちらからも幾つか質問がある」
「わかってるわ。答えるしかないでしょう?」
「君、スカートはどうしたのだ?」
「どこかの部屋に置いてきたわ」
「今朝、君に寄付を渡した後、僕は君が、玄関
から出るのを見ていない。いままで、潜んで
いたのか。退屈だったろう?」
「いいえ。色々な部屋を見ていたから。確かに
一見の価値がある屋敷だわね」
「そうか」
「…」
「…」
「聞きたいのは、それだけ?」
「そんな訳が無いだろう。真夜中に、真っ暗闇
の部屋で、君こそ何をしてるのだ?」
「それは、その…えっと…」
「言うまでもないと思うが、寝不足の人間は、
短気で機嫌が良くない。作り話に興味は無い
ズバリ、真実を話したまえ」
「私…美術品泥棒なの!」
「専門外なので、僕は詳しくないのだが、君
みたいな調子で、勤まるのか」
「初仕事だから、仕方ないでしょ!それに本業
じゃないもの。本当の仕事は、美術品鑑定家
…の卵…というか…志望」
「なら、部屋を間違えているぞ。美術品の部屋
は、向かい側だ」
「宝石の中にも、美術品と呼ばれる物があるの
よ。『青の貴婦人』とか」
「青の…何だって?」
「知らないの?莫大なお金を出して、自分で
買ったんでしょ!ああ…わかった。興味が
無いのね。このコレクションは全部、誰か
他の人の為に揃えたのね」
「なぜ、わかる」
「ここは、どう見ても女性の為の部屋だもの。
靴が落ちてるし」
「…」
「でも、その人、もういないのね…悲しい事が
あったのね…」
「ああ。だが、何も言いたくない。だから、
君の話を聞かせてくれ。何でもいい。例えば
なぜ、泥棒になったのか」
「『青の貴婦人』は、盗むのが難しいの。
贋作がたくさん出回ってて、本物と同時代
に作られた偽物もある。スキルがいるのよ」
「うちのは、本物か?」
「間違いなく、本物だわ」
「持って行きたまえ」
「は?え?は?」
「宝石が欲しいのだろ。持って行きたまえよ」
「どういう事?」
「簡単な話だ。『青の貴婦人』とやらは、僕の
物だ。君に譲渡する。それだけだ」
「それはダメでしょ、普通」
「なぜ、ダメなのだ?わからんね」
「こういう物はね。個人の所有物であっても、
そうじゃないのよ。文化的な、人類の資産。
悪者に渡すのは、芸術への侮辱だわ」
「君の主張は、さっぱり理解できんね。
そこまで言うのに、なぜ、盗む」
「ギャンブルで借金を背負わされちゃって…
債権が、芸術専門悪党グループに渡ったから
なの。スキルを使って、借金を返せって言わ
れて…『青の貴婦人』を持っていかないと、
私、生皮剥がされちゃうのよ!」
「誰のギャンブル代だ?」
「私のよ、もちろん」
「君の?いや、失礼。てっきり、ロクデナシの
父親とか、能無しの兄弟とか、放蕩者の恋人
とかの借金を、被ってしまったのかと…」
「そんな訳ないでしょ。他人の借金なんか、
知った事じゃないわ。自分のだから、困って
いるんじゃない。それも、ものすごい額」
「だったら、尚更、持って行きたまえ」
「闇から闇へ、そんな扱いを受けるべきじゃ
ないのよ」
「君が?」
「『青の貴婦人』の事よ!文化的な…」
「知るか」
「え?」
「知った事じゃないと言ったんだ!
偉大な美術品だかなんだか知らないが、今、
大事なのは、君が、生皮剥がされないように
することだろうが。
僕にも、美術品を愛でる気持ちが無いという
訳ではない。悪者に渡すべきでないという
意見にも、まあ賛成する。
だが、物は物でしかないんだ、シェモーナ。
目の前の、人間一人の命と、天秤にかけられ
る美術品など、この世に一つも無い。
持っていかないなら、この…なんだ…えっと…
『青の貴婦人』か…窓から投げ捨てるぞ!」
後編に続きます。
後編は、現在に戻って、サンディ(ライリー)
とシェモーナのお話です。
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasamiです。
「いつもの帰り道」は、ノスタルジックな作品
覗いてみて下さいね。
あなたのバービーは何を語る?⑨前編
「起きて、起きて…えーと、サンディ…だった
かしら…起きて」
「…。」
「起きてったら!ねえ…もう…起きてよ」
「うーん…」
「起きなさい!」
「え…はあ…はい!?いきなり、電気をつけなく
ても…眩しい…」
「起きて!」
「目が開いたんで、気がついたのですけどね。
あなた、誰です?」
「私の事、忘れちゃったの?」
「待って下さいね…まだ、寝ぼけていて…少し
時間を貰わないと。えっと…その…いいえ、
失礼ですが、あなたとお会いした記憶はない
ですね。
申し訳ないんですけど…って、よく考えたら
あなたこそ、失礼じゃないですか?
夜中の…えっと…3時か…こんな時間に、僕の
部屋に押し入ってきて、叩き起こすなんて。
僕は、気持ちよく寝ていたのに…」
「よく眠れるようになったのね。良かったわ。
でも、早く逃げないと」
「は?逃げる?なぜ?この世の終わりの鐘でも
鳴りましたか?地球が真っ二つに割れでも
しました?」
「あなたは、時計を見間違えてるわ。3時じゃ
ない。もう、4時27分に近いのよ。明るくな
り始めてる」
「いや、そこが話のポイントじゃないんですよ
時間なんて、どうでもいいでしょう?」
「良くないわ。彼らがやって来る」
「彼らって?サンタクロースですか。それとも
妖精かな」
「悪い人達よ。あなた、襲われてもいいの?」
「もう、目が覚めているはずなんですけどね。
あなたの言う事が、一言半句も理解できない
んですよ。
もしかして、部屋を間違えてませんか?」
「頭がおかしいんじゃない?」
「どの口が、それを言いますか。僕は、悪党に
襲われる様な物は、何一つとして持っていま
せんよ。貧乏ジャーナリストですから」
「それにしては、素敵な部屋に住んでるわね」
「大家さんが、とても良い方だから」
「この椅子も、とっても座り心地がいいわ」
「ありがとう。でも、僕が買ったんじゃない。
友達が作ってくれた物なんです」
「クッションを切り裂いたら、怒る?」
「はあ?そんな事は、させませんよ」
「このマントルピースも、豪華ね」
「友達が…」
「まさか、これも、友達が作ったなんて言わ
ないわよね?」
「僕が作れるわけがないじゃないですか」
「ぶち壊したら、まずい?」
「絶対にダメです。大事にしてる」
「私を止められるの?」
「出来ますよ。ただ聞けばいい。何を探して
いるんです?」
「彼らは『青の貴婦人』を探してる。どこにあ
るの?」
「それ、誰です?知りませんよ、そんな人」
「そう、惚けたいなら、惚けていればいいわ。
あなたの留守中に、何度か、この部屋は
家捜ししたわ。でも、見つからなかった。
余計な事を言うようだけど、出かける時は、
鍵を掛けた方がいいわよ」
「今、反省してますよ。僕の部屋を見学したい
人が、やたらと多いらしい。ルーブル美術館
でもないのに」
「何の話?」
「僕にも、わかりません」
「本当に変な人!」
「僕が、ですか?あなたも、十分に変ですよ」
「あなた、拷問されてもいいわけ?」
「いきなり、何を言い出すんです?もちろん、
良くないですよ」
「殺されてもいいの?」
「それも、良くはないですね」
「まあ、そこまではしないけど。多分」
「どっちですか…」
「あいつらに捕まれば、はっきりするわよ。
試してみる?彼らは『青の貴婦人』を探して
る。あなたが行方を知っていると、思い込ん
でるのよ」
「僕は、そんな人、知りません」
「人じゃないわよ!」
「そんなに、怒る事はないでしょう。
普通、貴婦人と言ったら、人間です」
「その話は、後にしましょう。
今はまず、逃げなきゃ。早くベッドから出て
着替えなさい!」
「さっきから、疑ってたんですけどね。
もしかしたら、あなた…」
「思い出した?私の事…」
「酔っ払ってませんか?」
「馬鹿!」
「僕が?」
「他に誰がいるのよ?」
「あなたがいます」
「そう、死にたいなら、そうすれば。
置いていくわよ、いいのね?」
「ぜひ、そうして下さい」
「ダメ!あなたの事を救いたいのよ。あなたの
為に、わざわざ駆けつけたのに…」
「わかりました、わかりました。何も、泣く事
はないでしょう。逃げればいいんでしょう、
逃げれば。何から逃げるんだか、まだ、よく
わからないんですけどね」
「窓から飛び降りるわよ!」
「二階ですよ、ここは」
「だから何よ?私だって、窓から忍び込んだん
ですからね!」
「威張って胸張る事ですか、それが」
「早く、早く!窓ガラス、破る?」
「窓の鍵だって、掛けた事がないですよ。
だから、あなただって、忍び込めたんだ。
なぜ、窓ガラスを割る必要があるんです」
「そんな事、言ってる場合なの?」
「そもそも、どんな場面なんですか。
今まさに、踏み込まれそうだというなら別
ですがね。静かな夜だ。本当に、その悪党達
やって来るんですか?」
「今日じゃないかもしれないけど」
「え…ええ!?」
「襲撃の日時は知らないのよ」
「…はあ!?」
「踏み込まれる寸前で慌てるなんて、間違って
るわ。被害に遭う前に、逃げなくちゃ。
早めの行動が大事。常識ないの?」
「多分、無いんですよ、僕は。
なぜって、ドアから出ますからね」
「危険よ。鉢合わせしたら、どうするの」
「足の骨を折れば、危険が回避できると?」
「待って!置いていかないで!」
「で?」
「それは、僕のセリフです」
「これから、どうしよう…」
「それも、僕のセリフですね」
「何から話せばいいのか、わからないわ」
「とにかく、二人とも落ち着くべきです。
夜もすっかり明けたし、暖かくて美しい秋の
日だ。コーヒーでも買って散歩しましょう」
「変わったわね、あなた。雰囲気が違う」
「いつの僕と比べて?」
「四年前」
「四年前…か」
「四年前のあなたは…コーヒーが嫌いだった」
「落ち着きましたか?」
「ええ…ありがとう。もう、大丈夫だわ。
でも、まだ頭がゴチャゴチャしてて、あー、
もう…もう…もう!何をどうしたらいいのか、
わからないの」
「だったら、まだ、大丈夫でもないし、落ち着
いてもいないのですよ。
しばらく黙って、お互いに考えをまとめる
のは、どうですか」
「やってみるわ」
「…。」
「…。」
「ダメ!」
「ダメ?」
「ダメ、ダメ、ダメ!私には無理。そのうち、
月行きのエスカレーターが出来る日が来る
かもしれないけれど、落ち着く日なんか、
こないわ。何か質問してちょうだい、お願い
そうしたら、多分、全て説明できるから」
「いいですよ。じゃあ、まず、最初の質問。
あなたのお名前は?」
「シェモーナ」
「美しい名前だ。僕はサンディ」
「違うわ」
「何がです?」
「あなたの名前は、サンディじゃないわ」
「自分の名前を間違う人がいますかね」
「いるかもしれないわよ。
今のあなたが、サンディと名乗っているのは
知っているわ。
でも、本名ではない。なぜ、誤魔化すの?」
「誤魔化してはいません」
「四年前、どうして失踪したの?」
「失踪?僕がしたんですか」
「質問して、とは言ったけど…全て疑問形に
しろ、という意味じゃないのよ。
からかってるの?それとも、私を信用でき
ないから?無理ないけど、でも…」
「違う、違いますよ。そうじゃなくて…その、
それは…その…」
「話にくい事みたいね。でも、私は引き下がら
ないわよ」
「そのようですね…。
実は…覚えていないのですよ、過去を。
サンディとして生きてきた、この三年間以外
全ての記憶がなくなっているんです」
「そうだったの…それは…辛かったでしょうね」
「嘘だ、と言われるのを、覚悟していたんです
けどね。すぐに信じてくれるんですか?」
「まあね。信じるわ。でも、困ったわ。
俗に言う…記憶喪失なの?」
「らしいですね」
「確かに、頭を怪我したりすると、人格が変化
したり、一部の記憶がなくなったりはする
みたいよね。でも、全ての記憶を失うという
のは、珍しいのじゃなくて?」
「飛行機事故で、記憶が完全になくなった人の
話を、聞いた事があります。稀ではあるが、
実際に起こりうる。その人は、婚約者の存在
すら、忘れてしまったそうですから」
「あなたには、何が起こったのかしら」
「わかりません。でも、お医者さんによれば、
僕は、過去のどこかで…多分、数年前に、
大怪我をしたらしいのです。ここにいるの
だから、生還したのは確かだけれど、助かっ
たのは奇跡的だったのだろう…そう言ってま
した。その事故のショックで、記憶も消えた
のでしょうね」
「元気になって良かったわ」
「それは違う。生還した…と言うと、人は皆、
ピカピカの健康体に戻ったと思うみたいです
けどね。そうではない。
体の内外に負った重傷のせいで、寿命の
大部分が失われてしまいましたから」
「私の言葉を誤解しているわ。元気になって
良かった…というのは、怪我が治った云々の
意味じゃないの。以前のあなた…私が知って
いた過去のあなたは…全く生気がなかった。
不幸そうで…悲しそうで…底知れない、闇の
絶望があった。手で触れる事ができる程に。
今のあなたは、そうじゃない。どれだけ死が
近くても…幸せそうだわ」
「もしかしたら、思い出したくない過去が、
僕にはあるのかもしれない。だから、無意識
の内に、記憶を消したのじゃないかと…。
それが一番、怖かったのです。誰かを傷つけ
ていたら…それが怖い」
「私と出会ったのは、多分、事故の前だわ。
記憶を失っていなかったし、怪我している
様子もなかった」
「話してくれませんか。過去の僕の事を」
「力になれないのよ。
私は、あなたの友達ではなかった。
ほんの僅かな間、顔を合わせただけ。
あなたの知りたがっている事を、明らかに
出来ないと思う」
「いいんですよ。気にしないで。それは、僕の
問題で、あなたには、何の責任もない。
ただ、聞きたいだけなんです。
それに、あなたの側の事情もあるでしょう。
『青の貴婦人』でしたか…大事な話なので
しょう」
「そう…どの道、話さなくてはいけないのね。
許して」
「あなたの、以前の名前は、ライリー」
「変わってますね」
「一族の名前だと言ってたわ。代々、引き継ぐ
血のつながり。逃れる事は出来ない運命…
それを表すのだそうよ。
名前は、簡単に捨てられないから」
「僕は、捨てたようですがね」
「簡単に、ではないでしょう」
「初めて会った時の事を、話して下さい」
「いいわ」
中編に続きます。
エブリスタで、小説も公開中。
格差をテーマにしたものが、多いです。
ペンネームはmasamiです。