あなたのバービーは何を語る?⑨中編
「四年前、私は、ライリーの…つまり、昔の
あなたの家を訪ねた。広大な敷地に立つ、大
豪邸だったわ。門から玄関まで、20分は歩い
たわね。家も、あまりにも大きいし、幾つも
玄関があって、どのドアを叩いたらいいのか
わからなかった。とりあえず、一番近くの
ノッカーを鳴らしたけれど、家人の耳に届く
とは思えなかったから、30分ぐらいも、叩き
続けたの。やっと、あなたが、出てきた時に
は、緊張してたのが、すっかり取れてたわ」
「君は誰だ?」
「あの…ライリーさんですか?」
「ああ、そうだが」
「未亡人共済組合から来ました。寄付をお願い
します」
「寄付か…ポケットマネーでよければ、すぐ」
「いや、あの…出来れば、その…その、小切手で
お願いします」
「ここには無い」
「…」
「…」
「仕方がないな…まあ、入って」
「ありがとうございます!」
「小切手を取りに行くから、ホールで待ってい
てくれたまえ」
「いや、あの、その、あの…ご一緒します」
「書斎にあるんだ。遠い」
「でも…行きますわ。もし、よ、よければ…」
「ふむ…良くはないが、考えてみれば、悪くも
ない。好きにしたまえ」
「広いですわね。まるで迷路だわ。迷子になり
ません?」
「2、3の部屋しか使ってない。従ってルート
は、いつも同じだ。迷う事は無い」
「素晴らしいお屋敷ですけど…あちこち電球が
切れてるし、ゴミが落ちてますわ。奥様は、
使用人の方に、注意した方がいいわ」
「結婚はしてないし、誰も雇っていない。僕は
一人暮らしなんでね」
「え?こんな広大なお屋敷に、一人ですか?
でも、家政婦さんくらいはいるでしょう?」
「完全に一人。一人っきりだ」
「どうですかね…それって…」
「奇妙な言い方だな。どういう意味なんだ」
「べ、別に…深い意味はありませんけど…
なんだか、このお屋敷、女性向けのデザイン
の様に感じるので。女主人に合わせて作られ
てるみたいに」
「そうか」
「…」
「着いたよ。この広間の奥が書斎だ。どうぞ」
「いいお部屋だわ。立派な本棚…でも、本が
ありませんね」
「本には興味が無い。ところで、小切手をどこ
にしまったか、思い出せなくてね。少し時間
をもらおう。ソファにでも、座ってて」
「ありが…いえ、止めておきますわ」
「なぜ、後退りするのだ?」
「なぜって、その…。
肩掛けが置いてあるし、詩集が伏せたままで
す。まるで、その…その…」
「だから?」
「一人暮らしだと仰ったけれど、誰か女性がい
て…今は席を外しているけど、すぐに戻って
くる…そんな感じがします。でも…花は枯れて
ますのね。細く美しい手が、この花を活けて
いた時は、色鮮やかに咲いていたでしょうに
やっぱり、お一人なんですね…今は」
「…」
「ライリーさん?大丈夫ですか?」
「え?ああ、何でもない。小切手を探そう」
「お願いします」
「まったく…どこに仕舞ったんだか…ああ、紅茶
かワインはいかがかな。悪いが、コーヒーは
無い。見たくなくてね」
「いえ、結構です。ワインが沢山ありますのね
みな、価値あるワインばかり」
「ああ…そう…僕はよく知らないが。興味が無く
てね」
「床に転がっている、そのワイン、稀少な逸品
ですわ。なぜ、放り出していらっしゃるの」
「どうでもいいからだ」
「…」
「やっと小切手が出てきた。
宛先は…未亡人共和組合、だったかな」
「ええ」
「そうなのか?本当に?」
「ええ!」
「それじゃ、これをどうぞ」
「ありがとうございます。では…私はこれで…」
「見なくていいのか?」
「え?」
「小切手を渡されたら、必ず宛先と金額を確認
するものだ。普通はね。なのに、君は、すぐ
袖の中に突っ込んだ。見ていない。
どうでもいいのかな」
「今、見ます!結構です、これで。それじゃあ
私、帰りますわ。お邪魔しました」
「玄関までお送りしよう」
「いえ!あの、その、大丈夫ですわ。ご足労
いただかなくても。自分で帰れます」
「さっき、迷路の様だ、と言っていたが」
「順路は、覚えてますから」
「そうか。それでは、そうして貰おう。疲れた
のでね」
「ドアに警報装置などありましたら、スイッチ
を押していきますけど」
「警備は一切していない」
「警報ベルも無いんですか。こんな豪邸なのに
無用心じゃありません?」
「守るべきものなど、もう何も無い」
「そうですか…。わかりました。
さようなら、ライリーさん」
「お嬢さん、お名前は?」
「シェモーナです」
「シェモーナ。君は、この後、仮装舞踏会にで
も、行かれるのかな」
「いいえ。なぜです?私の格好、どこか変です
か?」
「いや、ちっとも。ただ、仮面をつけている様
に思えたのでね」
「…」
「気にしないでくれたまえ。
さよなら、シェモーナ」
「ええ…さようなら」
その夜…
カチッ
「キャッ、いきなり何なのよ!」
「灯りをつけただけだ」
「ライリーさん…」
「こんばんわ、シェモーナ」
「真夜中に、真っ暗闇の部屋で、一体、何して
たのよ、あなたは!」
「最近、眠れなくてね。物思いにふけってた。
いけないか?
ところで、こちらからも幾つか質問がある」
「わかってるわ。答えるしかないでしょう?」
「君、スカートはどうしたのだ?」
「どこかの部屋に置いてきたわ」
「今朝、君に寄付を渡した後、僕は君が、玄関
から出るのを見ていない。いままで、潜んで
いたのか。退屈だったろう?」
「いいえ。色々な部屋を見ていたから。確かに
一見の価値がある屋敷だわね」
「そうか」
「…」
「…」
「聞きたいのは、それだけ?」
「そんな訳が無いだろう。真夜中に、真っ暗闇
の部屋で、君こそ何をしてるのだ?」
「それは、その…えっと…」
「言うまでもないと思うが、寝不足の人間は、
短気で機嫌が良くない。作り話に興味は無い
ズバリ、真実を話したまえ」
「私…美術品泥棒なの!」
「専門外なので、僕は詳しくないのだが、君
みたいな調子で、勤まるのか」
「初仕事だから、仕方ないでしょ!それに本業
じゃないもの。本当の仕事は、美術品鑑定家
…の卵…というか…志望」
「なら、部屋を間違えているぞ。美術品の部屋
は、向かい側だ」
「宝石の中にも、美術品と呼ばれる物があるの
よ。『青の貴婦人』とか」
「青の…何だって?」
「知らないの?莫大なお金を出して、自分で
買ったんでしょ!ああ…わかった。興味が
無いのね。このコレクションは全部、誰か
他の人の為に揃えたのね」
「なぜ、わかる」
「ここは、どう見ても女性の為の部屋だもの。
靴が落ちてるし」
「…」
「でも、その人、もういないのね…悲しい事が
あったのね…」
「ああ。だが、何も言いたくない。だから、
君の話を聞かせてくれ。何でもいい。例えば
なぜ、泥棒になったのか」
「『青の貴婦人』は、盗むのが難しいの。
贋作がたくさん出回ってて、本物と同時代
に作られた偽物もある。スキルがいるのよ」
「うちのは、本物か?」
「間違いなく、本物だわ」
「持って行きたまえ」
「は?え?は?」
「宝石が欲しいのだろ。持って行きたまえよ」
「どういう事?」
「簡単な話だ。『青の貴婦人』とやらは、僕の
物だ。君に譲渡する。それだけだ」
「それはダメでしょ、普通」
「なぜ、ダメなのだ?わからんね」
「こういう物はね。個人の所有物であっても、
そうじゃないのよ。文化的な、人類の資産。
悪者に渡すのは、芸術への侮辱だわ」
「君の主張は、さっぱり理解できんね。
そこまで言うのに、なぜ、盗む」
「ギャンブルで借金を背負わされちゃって…
債権が、芸術専門悪党グループに渡ったから
なの。スキルを使って、借金を返せって言わ
れて…『青の貴婦人』を持っていかないと、
私、生皮剥がされちゃうのよ!」
「誰のギャンブル代だ?」
「私のよ、もちろん」
「君の?いや、失礼。てっきり、ロクデナシの
父親とか、能無しの兄弟とか、放蕩者の恋人
とかの借金を、被ってしまったのかと…」
「そんな訳ないでしょ。他人の借金なんか、
知った事じゃないわ。自分のだから、困って
いるんじゃない。それも、ものすごい額」
「だったら、尚更、持って行きたまえ」
「闇から闇へ、そんな扱いを受けるべきじゃ
ないのよ」
「君が?」
「『青の貴婦人』の事よ!文化的な…」
「知るか」
「え?」
「知った事じゃないと言ったんだ!
偉大な美術品だかなんだか知らないが、今、
大事なのは、君が、生皮剥がされないように
することだろうが。
僕にも、美術品を愛でる気持ちが無いという
訳ではない。悪者に渡すべきでないという
意見にも、まあ賛成する。
だが、物は物でしかないんだ、シェモーナ。
目の前の、人間一人の命と、天秤にかけられ
る美術品など、この世に一つも無い。
持っていかないなら、この…なんだ…えっと…
『青の貴婦人』か…窓から投げ捨てるぞ!」
後編に続きます。
後編は、現在に戻って、サンディ(ライリー)
とシェモーナのお話です。
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasamiです。
「いつもの帰り道」は、ノスタルジックな作品
覗いてみて下さいね。