あなたのバービーは何を語る?⑨前編
「起きて、起きて…えーと、サンディ…だった
かしら…起きて」
「…。」
「起きてったら!ねえ…もう…起きてよ」
「うーん…」
「起きなさい!」
「え…はあ…はい!?いきなり、電気をつけなく
ても…眩しい…」
「起きて!」
「目が開いたんで、気がついたのですけどね。
あなた、誰です?」
「私の事、忘れちゃったの?」
「待って下さいね…まだ、寝ぼけていて…少し
時間を貰わないと。えっと…その…いいえ、
失礼ですが、あなたとお会いした記憶はない
ですね。
申し訳ないんですけど…って、よく考えたら
あなたこそ、失礼じゃないですか?
夜中の…えっと…3時か…こんな時間に、僕の
部屋に押し入ってきて、叩き起こすなんて。
僕は、気持ちよく寝ていたのに…」
「よく眠れるようになったのね。良かったわ。
でも、早く逃げないと」
「は?逃げる?なぜ?この世の終わりの鐘でも
鳴りましたか?地球が真っ二つに割れでも
しました?」
「あなたは、時計を見間違えてるわ。3時じゃ
ない。もう、4時27分に近いのよ。明るくな
り始めてる」
「いや、そこが話のポイントじゃないんですよ
時間なんて、どうでもいいでしょう?」
「良くないわ。彼らがやって来る」
「彼らって?サンタクロースですか。それとも
妖精かな」
「悪い人達よ。あなた、襲われてもいいの?」
「もう、目が覚めているはずなんですけどね。
あなたの言う事が、一言半句も理解できない
んですよ。
もしかして、部屋を間違えてませんか?」
「頭がおかしいんじゃない?」
「どの口が、それを言いますか。僕は、悪党に
襲われる様な物は、何一つとして持っていま
せんよ。貧乏ジャーナリストですから」
「それにしては、素敵な部屋に住んでるわね」
「大家さんが、とても良い方だから」
「この椅子も、とっても座り心地がいいわ」
「ありがとう。でも、僕が買ったんじゃない。
友達が作ってくれた物なんです」
「クッションを切り裂いたら、怒る?」
「はあ?そんな事は、させませんよ」
「このマントルピースも、豪華ね」
「友達が…」
「まさか、これも、友達が作ったなんて言わ
ないわよね?」
「僕が作れるわけがないじゃないですか」
「ぶち壊したら、まずい?」
「絶対にダメです。大事にしてる」
「私を止められるの?」
「出来ますよ。ただ聞けばいい。何を探して
いるんです?」
「彼らは『青の貴婦人』を探してる。どこにあ
るの?」
「それ、誰です?知りませんよ、そんな人」
「そう、惚けたいなら、惚けていればいいわ。
あなたの留守中に、何度か、この部屋は
家捜ししたわ。でも、見つからなかった。
余計な事を言うようだけど、出かける時は、
鍵を掛けた方がいいわよ」
「今、反省してますよ。僕の部屋を見学したい
人が、やたらと多いらしい。ルーブル美術館
でもないのに」
「何の話?」
「僕にも、わかりません」
「本当に変な人!」
「僕が、ですか?あなたも、十分に変ですよ」
「あなた、拷問されてもいいわけ?」
「いきなり、何を言い出すんです?もちろん、
良くないですよ」
「殺されてもいいの?」
「それも、良くはないですね」
「まあ、そこまではしないけど。多分」
「どっちですか…」
「あいつらに捕まれば、はっきりするわよ。
試してみる?彼らは『青の貴婦人』を探して
る。あなたが行方を知っていると、思い込ん
でるのよ」
「僕は、そんな人、知りません」
「人じゃないわよ!」
「そんなに、怒る事はないでしょう。
普通、貴婦人と言ったら、人間です」
「その話は、後にしましょう。
今はまず、逃げなきゃ。早くベッドから出て
着替えなさい!」
「さっきから、疑ってたんですけどね。
もしかしたら、あなた…」
「思い出した?私の事…」
「酔っ払ってませんか?」
「馬鹿!」
「僕が?」
「他に誰がいるのよ?」
「あなたがいます」
「そう、死にたいなら、そうすれば。
置いていくわよ、いいのね?」
「ぜひ、そうして下さい」
「ダメ!あなたの事を救いたいのよ。あなたの
為に、わざわざ駆けつけたのに…」
「わかりました、わかりました。何も、泣く事
はないでしょう。逃げればいいんでしょう、
逃げれば。何から逃げるんだか、まだ、よく
わからないんですけどね」
「窓から飛び降りるわよ!」
「二階ですよ、ここは」
「だから何よ?私だって、窓から忍び込んだん
ですからね!」
「威張って胸張る事ですか、それが」
「早く、早く!窓ガラス、破る?」
「窓の鍵だって、掛けた事がないですよ。
だから、あなただって、忍び込めたんだ。
なぜ、窓ガラスを割る必要があるんです」
「そんな事、言ってる場合なの?」
「そもそも、どんな場面なんですか。
今まさに、踏み込まれそうだというなら別
ですがね。静かな夜だ。本当に、その悪党達
やって来るんですか?」
「今日じゃないかもしれないけど」
「え…ええ!?」
「襲撃の日時は知らないのよ」
「…はあ!?」
「踏み込まれる寸前で慌てるなんて、間違って
るわ。被害に遭う前に、逃げなくちゃ。
早めの行動が大事。常識ないの?」
「多分、無いんですよ、僕は。
なぜって、ドアから出ますからね」
「危険よ。鉢合わせしたら、どうするの」
「足の骨を折れば、危険が回避できると?」
「待って!置いていかないで!」
「で?」
「それは、僕のセリフです」
「これから、どうしよう…」
「それも、僕のセリフですね」
「何から話せばいいのか、わからないわ」
「とにかく、二人とも落ち着くべきです。
夜もすっかり明けたし、暖かくて美しい秋の
日だ。コーヒーでも買って散歩しましょう」
「変わったわね、あなた。雰囲気が違う」
「いつの僕と比べて?」
「四年前」
「四年前…か」
「四年前のあなたは…コーヒーが嫌いだった」
「落ち着きましたか?」
「ええ…ありがとう。もう、大丈夫だわ。
でも、まだ頭がゴチャゴチャしてて、あー、
もう…もう…もう!何をどうしたらいいのか、
わからないの」
「だったら、まだ、大丈夫でもないし、落ち着
いてもいないのですよ。
しばらく黙って、お互いに考えをまとめる
のは、どうですか」
「やってみるわ」
「…。」
「…。」
「ダメ!」
「ダメ?」
「ダメ、ダメ、ダメ!私には無理。そのうち、
月行きのエスカレーターが出来る日が来る
かもしれないけれど、落ち着く日なんか、
こないわ。何か質問してちょうだい、お願い
そうしたら、多分、全て説明できるから」
「いいですよ。じゃあ、まず、最初の質問。
あなたのお名前は?」
「シェモーナ」
「美しい名前だ。僕はサンディ」
「違うわ」
「何がです?」
「あなたの名前は、サンディじゃないわ」
「自分の名前を間違う人がいますかね」
「いるかもしれないわよ。
今のあなたが、サンディと名乗っているのは
知っているわ。
でも、本名ではない。なぜ、誤魔化すの?」
「誤魔化してはいません」
「四年前、どうして失踪したの?」
「失踪?僕がしたんですか」
「質問して、とは言ったけど…全て疑問形に
しろ、という意味じゃないのよ。
からかってるの?それとも、私を信用でき
ないから?無理ないけど、でも…」
「違う、違いますよ。そうじゃなくて…その、
それは…その…」
「話にくい事みたいね。でも、私は引き下がら
ないわよ」
「そのようですね…。
実は…覚えていないのですよ、過去を。
サンディとして生きてきた、この三年間以外
全ての記憶がなくなっているんです」
「そうだったの…それは…辛かったでしょうね」
「嘘だ、と言われるのを、覚悟していたんです
けどね。すぐに信じてくれるんですか?」
「まあね。信じるわ。でも、困ったわ。
俗に言う…記憶喪失なの?」
「らしいですね」
「確かに、頭を怪我したりすると、人格が変化
したり、一部の記憶がなくなったりはする
みたいよね。でも、全ての記憶を失うという
のは、珍しいのじゃなくて?」
「飛行機事故で、記憶が完全になくなった人の
話を、聞いた事があります。稀ではあるが、
実際に起こりうる。その人は、婚約者の存在
すら、忘れてしまったそうですから」
「あなたには、何が起こったのかしら」
「わかりません。でも、お医者さんによれば、
僕は、過去のどこかで…多分、数年前に、
大怪我をしたらしいのです。ここにいるの
だから、生還したのは確かだけれど、助かっ
たのは奇跡的だったのだろう…そう言ってま
した。その事故のショックで、記憶も消えた
のでしょうね」
「元気になって良かったわ」
「それは違う。生還した…と言うと、人は皆、
ピカピカの健康体に戻ったと思うみたいです
けどね。そうではない。
体の内外に負った重傷のせいで、寿命の
大部分が失われてしまいましたから」
「私の言葉を誤解しているわ。元気になって
良かった…というのは、怪我が治った云々の
意味じゃないの。以前のあなた…私が知って
いた過去のあなたは…全く生気がなかった。
不幸そうで…悲しそうで…底知れない、闇の
絶望があった。手で触れる事ができる程に。
今のあなたは、そうじゃない。どれだけ死が
近くても…幸せそうだわ」
「もしかしたら、思い出したくない過去が、
僕にはあるのかもしれない。だから、無意識
の内に、記憶を消したのじゃないかと…。
それが一番、怖かったのです。誰かを傷つけ
ていたら…それが怖い」
「私と出会ったのは、多分、事故の前だわ。
記憶を失っていなかったし、怪我している
様子もなかった」
「話してくれませんか。過去の僕の事を」
「力になれないのよ。
私は、あなたの友達ではなかった。
ほんの僅かな間、顔を合わせただけ。
あなたの知りたがっている事を、明らかに
出来ないと思う」
「いいんですよ。気にしないで。それは、僕の
問題で、あなたには、何の責任もない。
ただ、聞きたいだけなんです。
それに、あなたの側の事情もあるでしょう。
『青の貴婦人』でしたか…大事な話なので
しょう」
「そう…どの道、話さなくてはいけないのね。
許して」
「あなたの、以前の名前は、ライリー」
「変わってますね」
「一族の名前だと言ってたわ。代々、引き継ぐ
血のつながり。逃れる事は出来ない運命…
それを表すのだそうよ。
名前は、簡単に捨てられないから」
「僕は、捨てたようですがね」
「簡単に、ではないでしょう」
「初めて会った時の事を、話して下さい」
「いいわ」
中編に続きます。
エブリスタで、小説も公開中。
格差をテーマにしたものが、多いです。
ペンネームはmasamiです。