あなたのバービーは何を語る?⑩ライリー最終編
「辛いのではありませんか?あなたは、こちら
に目を向けられないでいる。無理もないで
す。僕が、あなたをお訪ねすれば、傷つけず
にはいられない。迷いました。決して軽々し
く判断した訳ではありません」
「お手紙を頂いてましたから。会うのを選んだ
のも、私です。心構えは出来ていたつもりで
したけど…やっぱり…。少し時間を下さい」
「もちろんです。僕は、いつまでも待ちます」
「何度も話を中断して、ごめんなさい。
サンディ…と、今のあなたは名乗ってる。
でも、私には…私には…。
いえ、大丈夫です。
あなたは、もうライリーではない。
それは、あなたにとっては真実でも、私が
受け入れるには、やはり時間が掛かります。
そう…とても辛い」
「でも…もしも、ライルが…昔の彼のままで、
私の元に戻っていたら…それも、やはり、
辛く 苦しく…ひどく戸惑ったでしょう。
それが私の罰なんです。
だから、私の事は、気にしないで下さいね。
聞きたいのでしょう?過去の自分の事を…
でも、なぜ、今?あれから、ずいぶん長い時
が経ってます。
責めているのではないのよ。ただ、あなたと
同様、私も知りたいだけなんです」
「戻った訳ではありません。
僕はもう、二度と、ライリーには戻らない。
今日だけ、お訪ねしたのです。
なぜ、今になって…というなら、ここを去っ
てから数年は、ライリーの事など知らなかっ
たし、サンディとして生きるのに懸命だった
からですよ。だが、その内…サンディとして
出会った、沢山の友達が、少しずつ、それと
意識しないながら、僕をここに導いた。
僕一人では、辿り着きはしませんでした」
「ライリーだった頃、あなたに友達はいなかっ
たわ。私以外、誰も」
「そのようですね。だから、あなたの処へ来た
のです」
「ライリーだった頃の記憶は?全く無いの?」
「完全に消えています」
「なら、見事にやり遂げたのね、レイシーは。
彼女は言ったわ。ライリーを助け出す、と。
どんな事でもする覚悟だったのだと思う」
「レイシーは、ライリーに…僕に…何をしたの
ですか?」
「あなたは…いえ、あの頃のライリーは死にか
けてた。
苦しみ、絶望していた。たった一本の命綱で
崖からぶら下がっているよう状態だったの。
二十年近くもそんな状態では、誰だって神経
がおかしくなるのに、そんな、安定とも言え
ない安定さえ、失う寸前だった。
肝心の、命綱が保たなくなっているのに気が
ついてしまったのよ。
全てを託した綱は、切れかかっていた」
「命綱とは?」
「レイシーよ」
「珍しいですね。普通は、ほら、母親とか…」
「その通りよ。
レイシーは、ライルの母のマグダラが、彼に
引き継いだ命綱だった。
マグダラとライルは、二人共、与えうる限り
の愛情をレイシーに注いだわ。その愛は本物
だった。それは否定しない。でも、正しい愛
ではなかったのだと思うわ。
レイシーへの愛に…なんとか生きる意味を
見い出していた。その為の愛だったから。
レイシーに全てを与えたがっていた。
そうすれば、自分達が満たされるから」
「迷惑な話ですね。レイシー…僕は憶えていま
せんが、彼女が気の毒です。
誰だって、そんな役目は負いたくない」
「昔ね、私、ライルに話した事があるの。
レイシーが、まともに育ったのが不思議だっ
て。でも、私は間違っていた。何もわかって
いなかったのよ。
レイシーが、一番、まともでなかった」
「彼女が、一番、苦しみ、追い詰められてた
と?」
「私は、それに気が付かなかった。
それで、あんな事態になった。
残念だわ…でも、例え、キチンとした理解が
出来ていても、私には、あの悲劇は止められ
なかったと思う。私は、無力だった。それが
慰めね。事件を防ぐ資格が、私にはなかった
というのが」
「それは嘘だ。あなたは、慰めなど見い出して
いない。今でも苦しんでいる。違いますか」
「そうね…ごまかしては、いけないわね。私の
心はまだ、あの日で止まったまま…」
「すみません…言い過ぎました。僕は、何も
知らないのに」
「レイシーを妬んでる。今でも羨んでるの。
変な話よ。彼女は、殺人未遂犯なのよ」
「レイシーは、ライリーに何をしたのです?」
「塔の窓から、彼を突き落とした」
「ライルはガラスを突き破った。
落ちていった」
「何階の窓です?誰の部屋でしたか?」
「私の部屋。4階。ライルはまっ逆さまに落ち
て、下の広場に激突した。噴水と池の側よ。
普通なら、死んでいたわ。
レイシーは、それを承知で突き落とした。
でも、憎しみからじゃない。
あなたを救うには、それしか無いのだと、
そう確信したから、落としたのよ。
そんな事、誰が出来る?レイシー以外の、誰
に出来るって言うの!」
「落ち着いて、アマンダ。大丈夫ですか。
呼吸できてますか」
「レイシーには迷いがなかった。正しい事を
するのだ…ライリーを助けるのだ…彼女は
少しも動転しなかった。私にはわからない。
本当に、そうだったのか…」
「結果を見れば、正しい事だったんでしょう。
僕は生き延び、今は幸せに暮らしているの
ですから。でも、レイシーがライリーを…
その、僕を殺そうとした時には、もっと別の
思いに支配されていたと思います」
「どんな?」
「恋…親の代から続く愛憎…何より…多分…」
「何?」
「若さですよ」
「若さ?」
「自分が正しいと信じる一途さ。自分が何とか
しなければ、という信念。自分なら出来ると
いう自信。これは、成熟した、または老成
した心には生まれないのですよ。
実際の年齢とは関係なく、レイシーには、
そうした若さがあり、あなたには無かった。
どうしようもない事です。
あなたの言う通りです。どんなに望んでも、
あなたには、レイシーと同じ事は出来ない」
「それより僕は、もっと具体的な事が知りたい
のですよ。なぜ、レイシーはあなたの部屋に
いて、なぜ、ライリーが現れたのか」
「私の部屋に、レイシーを匿った事は、話した
でしょう。部屋に案内した時、レイシーは、
驚いていたわ。権力者の一族を率いる身で、
大豪邸に住んでいるのに、この部屋は何なの
アマンダ?廃墟みたいよ、と」
「ボロボロのベッドに、壊れた子供用の椅子。
他には、何も無い。本当に、何も無いの。
レイシーは、ふざけて言ってたわ。
私が嫌いだから、わざと、使ってない部屋を
あてがったんでしょ…って。
違うのよ。本当に、私の部屋だもの。
お金持ちでも、お金持ちでないだけ。」
「どういう意味です?」
「私は、子供の頃から、埃と黴だらけの塔の
一室に住んでいたわ。痩せこけて、汚れて、
臭かった。
子供は喧しいからと、私の部屋は、塔の
てっぺん。夏は蒸し風呂、冬は冷凍庫。
いつもお腹が空いていて、泣いても誰も来な
かった」
「信じられませんね。ご両親は?家政婦や
子守り、家庭教師がいたでしょう?」
「いたのかもね。時々、やって来たと思う」
「まだ、よくわかりません」
「彼らは、誰一人、私に関心がなかった。
欠片の関心も無ければ、どれほどお金があっ
ても、役には立たないのよ」
「可哀想に…辛かったですね」
「生き延びたわ。もう、大丈夫よ」
「しかしね、ライリーの家も同じだったので
しょう?
レイシーの物を除いたら、他には何も無いの
ではありませんか?空っぽの廃墟だ」
「ライリーもマグダラも、大富豪だった。
美しい物、贅沢品が溢れていたわ。
でも、二人は、レイシー以外、何も必要とし
てなかったし、レイシーは、物に興味が無い
子だった」
「やはり、廃墟だ」
「我が家には、客用寝室は無いのか、レイシー
に聞かれたわ。
私には、わからないと答えた。
今でも、邸にどんな部屋があって、誰が住ん
でるのか知らない」
「ご家族は?」
「両親には、時々、会うわ。会社とか、知人宅
で。元気みたいよ。でも、屋敷に住んでいる
のかは知らないわ。引退したから、リゾート
地にでも住んでいるのじゃない?」
「自分の家に、誰が住んでいるかわからない…
何か変な感じがしますけどね。ムズムズする
ような…落ち着きませんよ」
「あなたの…サンディの家は?今のあなたは、
どんな暮らしを?」
「1間のアパート暮らしです。住んでいるのは
僕一人ですけどねえ…いや…そうなのかな…?
友達や、友達の知り合いや、顔見知りやら、
顔に見覚えのない他人やら…果ては大家さん
や、彼女の身内まで…実に沢山の人が出入り
してましてね。鍵を掛ける暇もなくて…
ついには、鍵がどこかにいっちゃいまして。
だから、僕も、人の暮らしを、変わってる
云々、言える立場じゃありません」
「楽しそうね」
「賑やかです。イメージとしては、市場か…
年中無休のパーティー会場ですかね」
「私達と一緒にいた時は、楽しかった事なんか
なかったクセに」
「私達?」
「私もレイシーも、あなたを幸せにしたくて、
あなたと一緒に幸せになりたくて、ただ、
それだけが望みだったのよ。
なのに、あんまりだわ、酷いわ、ライル!
私達と一緒の時は不幸で、離れたら幸せだ
なんて」
「僕が不幸だったのは、あなた方のせいでは
ないし、今、幸せなのも、あなた方のおかげ
ではありません」
「そうね…そうね…その通りなのよね、本当は。
なのに…人はどうして、こうも愚かに間違え
てしまうのかしら…」
「そう…なぜでしょうね」
「レイシーが家出して…ライリーは、どうなり
ました?」
「会社にも出てこないし、電話にも出ない。
訪ねても、誰もいない。どの屋敷にいるのか
さえ、わからなかったわ」
「レイシーの捜索は?」
「魂を失ったのよ。ライリーは、しばらくの間
は、動くことすら出来なかったのだと思う」
「レイシーの意志を尊重しようとしたのかも
しれません」
「努力はしたと思うわ。自制したのでしょう。
少しの間は、それが出来た。
すぐには、禁断症状は出ないものよ。
ああ…本当にレイシーはいなくなってしまっ
たんだ…と実感するまでは、苦しみにも麻酔
が掛かってる。真に辛くなるのは、それから
よ」
「結局、ライリーは耐えられなかった?」
「そうね」
「情けない奴だ」
「あなたは、自分に厳しいのね。人間だもの。
仕方ないじゃない」
「ライリーは、あなたの家にやってきた?」
「二週間ほど後だったの。訳のわからない事を
言ってたわ。宝石を窓から投げ捨ててたら、
私の部屋に灯りが見えて、あっ…レイシーは
あそこにいるって、そうピンときた…とか
何とか…意味わかる?
レイス…レイス…会いたい…会わずにいられな
い…うわ言みたいに繰り返して、助けて…
レイス…僕を助けて…って。止めたけれど、私
なんか目に入らないみたいだった。
手を伸ばして、私をどかして…邪魔な家具を
どかすみたいに…憑かれた様な目をして…
塔を登っていった」
「レイシーは、驚きました?怯えた?」
「全然。わかっていたみたい。ライリーが来る
のを、彼女は待ってた」
「二人の間に、何が起こったのです?」
「レイシーは言ったわ。これが最後よって。
私を抱きしめて…ライリー、そこから
初めましょう…私と現実を生きようって…」
「それでも、ライリーは、彼女を拒んだ?」
「生身の彼女を愛せるなら、とっくにそうして
いたわ。
レイシーは、私とは違う。
美しいだけじゃなくて、何と言うか…地に
根付いた官能美、泥臭いまでの女らしさ
があった。身体も、ふっくらと柔らかで」
「ライリーは、彼女を抱くのを拒んだ。彼女
無しでは、生きられないのに?」
「だからこそ、だと思うわ」
「レイシーは、ライリーを、愛していたんです
ね。普通の恋がしたかっただけなのに、叶わ
なかった。
フラれて、冷たく突き放されるなら、まだ
理解できるし、受け入れる事も出来る。
でも、ライリーは、レイシーを溺愛し、可愛
がり、甘やかし…いつも側にいて、優しく話
を聞き、そして触れ合う。常に、ライリーの
温もりを体に感じる…現実的にね。
それなのに、恋愛対象として見てくれない?
あまりに辛い事です。苦しかっただろうし…
やがて、憎しみも生まれたでしょうね」
「レイシーは、ただ普通の人間として扱って
欲しかったのだと思うわ」
「十年以上も、ずっと求めていたのに…」
「叶わなかった」
「だから、レイシーはライリーを突き落とした
それから、どうなりました?」
「私は、階段を駆け下りて、ライリーの元へ
走ったわ。実際には、酷い損傷があった訳だ
けれど、その時は、わからなかった。見た目
には、何の外傷も無い様に見えたから。
意識ははっきりしなかったけれど、息は安定
していたし…4階から落ちたとは思えなかっ
たわ」
「レイシーは、どうしてました?」
「しばらく経ってから、下りてきたわ。
寝間着から着替えて落ち着いていた。
旅支度だった」
「アマンダ?」
「…。」
「普通、そんな事件が起これば、悲鳴を上げて
助けを呼ぶし、すぐに警察や救急車を呼ぶの
ではありませんか?」
「うちの屋敷では、何が起きても不思議では
ないのよ。誰も、駆けつけはしないわ。
野次馬にすら、ならないでしょうよ」
「倒れているライリーを見下ろして、あなたと
レイシーは二人きり。何があったのです?」
「話したくないわ」
「それはそうでしょう。でも、話して下さい。
気が楽になるかもしれませんよ」
「そうね…ああ、ライル…私達、なぜ、こんな
事になってしまったのかしら?なぜ?
あの時…あの日の、あの後…私は…私は」
その日…。
「逃げなさい、レイシー」
「警察に行くわ、私。見たでしょ、アマンダ。
私は、ライリーを殺した」
「彼は大丈夫。生きているわ」
「それでも、私は罰を受けるべき…」
「バカ言わないで。わかってるクセに。例え
死んでも…まあ、死にかけても、ライリーは
あなたのせいだなんて言わないわ。決して。
自分で窓から落ちた、と言い張る。
万に一つも、あなたは刑務所には入らない。
入ったとしても…想像がつくでしょ?
ライリーは、全財産を投げうってでも、自分
の権力の底までも浚って、牢屋をホテル・
リッツに変えるでしょうよ。
インテリアコーディネーターに造園家に、
室内プール、豪華なコース料理…」
「私は、どうなるの、アマンダ?」
「卑怯者なら、この場に留まるでしょうね。
罪など、どこにもない。
万事、今までと変わらない毎日が送れるわ。
ライリーの宝物」
「…。」
「レイシー?」
「嫌よ、嫌。それだけは…絶対に嫌」
「だから、この場から去りなさい、レイシー。
今を逃せば、もう終わりよ。
ここでライリーと離れれば、まだチャンスが
ある。あなた達ふたり共、変われるかもしれ
ない」
「ふふふ」
「何よ」
「そうなのね、そういう事なのね、アマンダ」
「何が」
「あなたが、ライリーを愛しているのは知って
いたわ。ずっとずっと昔から、幼い頃から
ずっとよね。
可哀想に、孤独なアマンダ…ライリーだけが
あなたの中の、暖かく、形ある人間だったの
よね。
あなたの様な存在は、とても貴重なのに…
それがライリーにはわからなかった。
ライリーは、私以外、何も目に入らないの
だから」
「そうね、レイシー」
「あなた、どれほど私を憎んでいたのよ、ねえ
アマンダ?
私がいなくなる様に仕組めば、ライリーは
あなただけの人になる。
そうでしょ?」
「ええ、その通りよ、レイシー」
「いいのよ、アマンダ。私は、それもわかって
いて、この道を選んだのだから」
「もう二度と会う事は無いわ、私達。
さようなら、レイシー」
「さようなら、アマンダ。
さ…さようなら…さようなら…ライリー。
寂しい…とても寂しいわ…」
「レイシーは去って行ったわ。
後は、説明の必要はないでしょう?
あなたは…ライルは…一命を取り留めたけれど
全ての記憶を失い、ある日、病院から脱走し
てしまったの」
「そして、僕はサンディになった」
「完全な記憶喪失は、とても珍しいそうね。
もしかしたら、過去から逃れたいのかも
知れない…と、お医者さんには言われたわ」
「サンディ…黙ってしまったのね。
どんな気持ち?」
「あなたに対して、気が咎めているのです」
「そう…あなた、今の暮らしは、幸せ?」
「とてもね。貧乏ですし、健康でもなく、そう
長生きも出来ません。
でも、大好きな仕事、大切な友達…
それだけで…ええ…とても幸せです」
「だったら、それでいいのよ」
「あなただけを、置き去りにして、逃げ出した
ようで…。たくさん、人を傷つけた。
レイシーのことも」
「だとしても、それが人生じゃなくて?
生まれた場所に留まる人もいれば、離れて
いく人もいるわ。
出会いもあれば、別れもあるし、その過程で
誰かを傷つける事もある。故意にそうしたの
でない限り、罪は無いわ。ただ、そうなって
しまっただけで」
「あなたは、幸せですか、アマンダ?」
「いいえ、大して。でも、それは私の問題よ。
あなたに…つまり、サンディにも、ライリー
にも、責任は無いわ」
「ありがとう、アマンダ。
あなたに会いに来て良かった」
「こちらこそ、ありがとう。
ライリーが生きていて、幸せだとわかって、
どんなに嬉しかったか…」
「レイシーは、どうでしょう。今、どこにいる
のか、ご存知ですか?」
「いいえ。でも、あの子は心配いらないわ。
多分、きちんと自分の人生を歩んでいる」
「きっと、そうですね」
「では、本当のお別れを…。
さようなら、アマンダ」
「さようなら、ライリー。永遠に。
そして、サンディ…あなたは、レイシーに命
を与えられた。体を大切に…精一杯、幸せに
生きてね…お願い」
「約束します」
終わり
エブリスタで、小説も公開中。
ペンネームはmasami。
おすすめは「いつもの帰り道」かな…?
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